2012/3/9 ●インドマイトリの会の事務所に行く

昨日の夜、お腹がすいたので何か食べる物はないかと通りを歩いていたら、インドマイトリの会の事務所で夜警をしているラジェーシュさんに会った。久しぶり~と再会を喜び、クシナガラに今日来たんだと伝え、明日は事務所に行くからね、と伝えた。

そういうこともあり、朝事務所を訪れてみるとブラジェーシュさんも所長さんも自分が来ることを知っていたようで、ニコニコ出迎えてくれた。ホーリーはまだ続いているらしく、通りでは騒いでいる子供たちや酒を飲んで酔っ払った青年たちがいたが、事務所は平安そのもので誰も色粉をかぶっている人もいなかった。みんな服も汚れていない。しかし村では大騒ぎらしい。

外国人から見ると、インドの社会はユルい、大雑把なように見えるが、実はそうでもないようで、WHOなどによると精神的な重圧を日頃から感じているインド人というのは意外と多いらしい。恐らくカーストに代表されるような伝統的な慣習やしきたりが抑圧となってインド人の心に影を落としているんかないかな、と思っているのだが、だからこそ、こうしたホーリーのような無礼講がまかり通るお祭りでのはじけ具合に現れるのかもしれない。

事務所も今日はホーリーを考慮して、外には出ないらしい。昼食を挟んで所長さんとひたすらおしゃべりする。所長さんから伺った話の中で印象に残ったのは、この地で活動を始めた最初のころのことだった。

村を周って各戸を周り、経済状況や家族構成、就学状況などを調査したそうだ。NGOとして活動を始めるにあたり、ある意味セオリー通りというか、それは当然必要なことのように思えた。しかしこれは難航したというか、いろいろとうまくいかないことが多かったという。どこの国でもそうかもしれないが、インドでも伝統的な農村は、それ自体が一つの共同体のようなもので、閉鎖性も強い。見たこともない姿の日本人のグループが突然村に現れて、あれこれと尋ね回ったことに様々な反応があったようだ。

何か経済的な援助をしてくれると思われてしまい、村の人々の間にいらぬ騒ぎを起こしてしまうことがあったそうで、村の中で貧しい家庭を選んで学費援助をしようとすると、他の家庭から妬みや「やっかみ」のようなものが生まれ、「あの家の子がタダで学校に通えるのだったら、うちの子にも学費は払わない」と言われてしまったそうだ。

この話には大変ショックを受け、考えさせられるものがあった。良かれと思い、調査の結果をもとに公平で透明性のある援助を実施しようと思っていても、必ずしも現地の人にそれが理解してもらえるとは限らない。恵まれない一部の子供を援助することが、村の中で余計な摩擦を起こしたり、援助に浴さない子供の不就学を生んでしまうとしたら、それはどうなのだろう。

自分たちが極めて理にかなった行動やオーソドックスな方法だと思い込んでいることが、現地では余計な面倒を持ち込むことにしかならないことがある。そうしたことと忍耐強く向き合いつつ目的をかなえるために何ができるのか。

インドマイトリの会では今では村や地元の人とは少し距離を置いて、学校との付き合い、学校の先生方とのコミュニケーションに重きを置いている。自分は以前から少しそのことについて不思議に思ったり、疑問にも感じていたが、実はこれまでにそういった経緯があったのだそうだ。