テンプルエントリー、インドの悪しき慣習

インド、特に南インドにはテンプルエントリーという社会問題がある。そもそもヒンドゥー教というのは、バウムクーヘンのように多層的で、それぞれの階層の中で独自の宗教儀式と生活様式が定められている。人々はそれぞれの階層の中でそれらに従って生きていて、それでいて互いの層が一生交わらないというわけではなく、どこか一部分でつながっていたり、時には有機的につながって機能し合ったりしている不思議な宗教だ。儚く脆そうでいて、それでも全体としてなんとなくまとまっている。

ヒンドゥーの儀式一切をつかさどるのはブラーミンで、お寺の建立にも中心的な役割を果たす。そしてそのお寺には多くの地域で昔から不可触民は参拝することが許されなかった。それどころか、お寺に参拝に来た人の視野に入るエリアにさえ近づくことを禁じられるなど、さまざまなローカルルールがあった。カーストヒンドゥーが使っている井戸を不可触民は使ってはいけない、というような決まりは割と有名だ。

こういったことは各地域に根差したものであり、もっといえば村々の数だけそうした決まりごとがあり、他所者にはなかなか見えにくい。ましてや外国人にとってはなおさらだ。アンベードカル博士の一生を追った「アンベードカルの生涯」(ダナンジャイ・キール)では、博士もかつて不可触民解放の闘いの一つとして、ナーシクでたくさんの不可触民とともに行進し、彼らが参拝を禁じられているヒンドゥー寺院へのエントリーを目指し、結局カーストヒンドゥーとの市街戦のようになった経緯が紹介されている。現代でもこんなことはあるのだろうか?

→不可触民の兄妹、寺院を「汚した」として暴行される

記事によると、テンプルエントリーに関する不可触民のタブーが、地域によっては現代でもちゃんと生きていることを伝えている。タミルナードゥ州コインバートルで起きたこの事件は、ダリットの男の子が、妹の学校試験の成功を願ってお寺に参拝に行ったところ、ブラーミンの司祭とその息子に見咎められて激しく暴行を受けたというものである。しかも被害者から相談を受けた警察は当初、少年からの被害届を受理せず、逆にブラーミンの司祭を激しく罵ったなどとして逮捕されたそうだ。

先月にはマドゥライ郊外の村で、ダリットの立ち入りが禁じられている寺院のそばにオートバイで入りこんだダリットの少年に対し、暴行を加えてバイクを盗んだとして、カーストヒンドゥーの少年5人が逮捕されている。

ある調査によると、タミルナードゥ州だけでもさまざまなダリットへのローカルな規制が残っているらしい。こういった問題に疎い日本人にとっては驚愕するような内容だ。例えば、(カースト・ヒンドゥーも通る)公道での、スリッパ着用の禁止、自転車に乗る事の禁止、ドーティを捲し上げてはくことの禁止、ポリエステル製のドーティ着用の禁止、タオルを肩に掛けることの禁止、ターバンなどの頭部への着用禁止、口ひげ禁止、衣類をドービー(洗濯業)などに洗ってもらうことの禁止など。村の集会場でのテレビ視聴禁止はともかくとして、公共の施設でのおしゃべりや歌を歌うことの禁止などはどう理解すればいいのか?最近ではダリットの少年が携帯の着信音に映画音楽のようなポピュラー音楽を使用していて、カーストヒンドゥーに暴行を受けたという事件もあったそうだ。

要するに、ダリットに対する差別的な扱い・禁忌は、公共の場所で身なりや振る舞いなどの面でダリットとカーストヒンドゥーとの違いを明確にするために設けられているように感じられる。ダリット達がカーストヒンドゥーのすることを真似たり、カーストヒンドゥーと間違われるような紛らわしいことを禁じているようなのだ。

しかし一方で、少し疑問に思うこともある。こういったダリットに対する抑圧が表面化するのは、むしろその抑圧の「たが」が緩んできたり、ダリットの意識が変化してきた証左ではないだろうかとも思えるのだ。完全に抑圧が効いているうちは、ダリットもそれをそのようなものとして受け止め、そのように行動するので、カーストヒンドゥーとの摩擦も生じない。最初の事件にしても、もし少年がしっかりと周囲から立ち入ることが許されないと言い聞かされ、その掟を受け入れていたならば、このようにケンカや暴行にまで発展することもなかっただろう。伝統社会という観点から考えるとあまりにもうかつだ。逆に確信犯だったとしたら、カーストヒンドゥ側にも付け入る隙のような風潮が少しずつ生まれてきているのだろうか?

もう一つこの記事で見逃せないのは、インドには通常の刑法の中の暴行などに関する条項意図は別に、ダリットに対する暴行を戒めるための特別な法律があるということだ。この種の事件がインドでは多いことを証明している。

→Scheduled Caste and Scheduled Tribe (Prevention of Atrocities) Act,