分裂し続ける国


インド政府の与党、国民会議派のソニア・ガンジー総裁はこのほど、党幹部で構成する作業委員会を開き、かねてより懸案だったアンドラ・プラデーシュ州のテランガナ地域の同州からの独立について具体的に検討する方向で調整に入った。

 

→テランガナ、29番目の州へ、ハイデラバードは10年間、共同州都として検討

 

テランガナ地域はアンドラ・プラデーシュ州の北部内陸エリアに位置し、テルグ語を話す住民の多い地域だ。18世紀から20世紀半ばのインド独立前まで、ニザーム王国として藩王(マハラジャ)がこの地域を統治し、インドを支配するイギリスとは条約を結んで独立を維持しながらも隷属的な立場に甘んじていた。インド独立時には藩王(マハラジャ)がイスラム教徒であったために、独立国の建設を模索したものの、結局1948年にインド軍に降伏する形でインドに併合された。その後ハイデラバード州に編入されたが、近隣の地域への対抗心が強く、度々暴力的な事件を起こすなどしてきた。1953年にインド政府はテランガナ地域を分割し、一部を近隣のマハラシュトラ州やマイソール州に編入させる一方で、大部分をインド洋沿岸地域と合わせてアンドラ・プラデーシュ州を創設した。


それ以降、テランガナの人々は沿岸地域との分離を求め、独自の州としての独立運動を始めることになった。時には暴力的なテロ事件を起こしながらテランガナ州の創設を求めてきたのだ。一方、テランガナ地域を除くアンドラ・プラデーシュ州の他の地域は現状維持を支持してきた歴史がある。テランガナの中心に位置する州都ハイデラバードはバンガロールなどと並んでインドのIT産業の本拠地で、国内外の大手企業がこぞって進出して、インド有数の経済力を誇る都市として名を馳せている。これまで莫大な税収を州にもたらしてきたわけであり、このハイデラバードを失うとテランガナ以外の地域は財政運営の面で大きな痛手となる。そこでハイデラバードは当面インド政府の直轄領にするか、複数の州の共同州都とする折衷案も浮上している。


一方、州政府の実権を握るアンドラ・プラデーシュの国民会議派は永い間テランガナ州の創設には慎重な立場を取っていた。しかしこれまでの州議会選挙では、テランガナの有権者の票欲しさにたびたびテランガナ州独立に向けて前向きな公約を掲げてきた経緯があり、「公約違反」との反発が独立運動に一層拍車を掛けていた。そこに来年に迫るロック・サバ(中央政府の下院)選挙に向けて、中央で与党を占める国民会議派の党幹部がこぞって人気取りのためにテランガナ州の創設に乗り出した、との見方もある。アンドラ・プラデーシュ州で州の運営を握っている同党の地方幹部は反発を強め、州政府内閣の大臣たちが次々と辞意を表明し、党内の内輪もめが州の運営に混乱をもたらし始めている。また近隣地域に居住する州内の住民も今回の動きに反発を強め、一部にはデモが過激化しているとの情報もある。一方で新たな州の創設は新たな利権を生むことから、政治家や公務員の中にはこれを歓迎する人々も少なくない。


そしてさらに注目されるのは、実は他にも州の分離・独立を目指す動きがあり、このテランガナ州の創設が検討され始めたことをきっかけに、各地で新州創設を求める声が高まっていることだ。ダージリンの政治家は早速西ベンガル州からの分離、「ゴルカランド州」独立を訴え始めた。人口2億人を擁するウッタル・プラデーシュ州も分割案が以前から政界で囁かれていたが、前州政府首相のマヤワティ女史は4つの州に分割し、より効果的な州の運営を目指すべきだとメディアに訴えた。しかし現政権のSamajwadi Partyのアキレシュ・ヤダフ州政府首相は否定的な立場だ。またマハラシュトラ州でも一部の地域が分離・独立を求める動きがある。

 

しかし現在のインドにとって「州」とはどうあるべきか、どのような地方行政のあり方が住民生活の向上に最も適しているのか、といった根本的な議論よりも、住民たちの素朴な感情、「彼らと自分たちは違うのだ、一緒にしないで欲しい」といった、単なる地域ナショナリズム(ローカリズム?)に引っ張られて物事が進められている感は否めない。

  

 

 

 

「インドは一つの国というより、一つの大陸である」とは、よく耳にする表現だ。現在でも人口の7割以上が地方の農村に住むインド人にとって「インド国民」としてのアイデンティティはあまり重要ではなく、多くはカーストに代表される村落内のコミュニティの力学が幅を利かせる地域社会の中で生きている。だからインドでは実際のところ国政選挙よりも、より地域に密着した選挙、村議会選挙なんかのほうが盛り上がる。この点は地方選挙の投票率の低さが問題となる日本とは大きく異なるところだ。インドではパンチャヤト(村議会)の選挙となると、おらが部落から誰が立候補して誰が当選するか、ということに皆が熱くなり、村落内でのいざこざや衝突、暴力沙汰や投票所の襲撃すら起きる。選挙期間中は警官があちこちに配備されて、のどかな田舎に一触即発のピリピリした雰囲気が充満する。パンチャヤトのメンバーに選ばれることは、自分の家族や所属するコミュニティにとっての名誉といろんな意味での実利を得られるから、皆必死になる。


驚くなかれ、インドには国境紛争ならぬ、州境紛争さえあるのだ。国として統合していこうとする力よりも、分裂の力学の方が強く働いている国。それがインドなのだ。

 

→関連エントリー:ガンジーの思想と小さな村の王国

 

 

○近年のインドにおける州の分離・独立

 

1987.05.30 インド政府直轄領だったゴアが晴れてゴア州として独立

 

2000.11.01 チャッティースガル州がマディア・プラデーシュ州より分離・独立

 

2000.11.09 ウッタランチャル州(後にウッタラカンド州に改名)が、ウッタル・プラデーシュ州より分離・独立

 

2000.11.15 ジャルカンド州がビハール州より分離・独立