カジュラホ、小学校を訪問 (2014.2.10-2014.2.14)

 

カジュラホは17年前にインドを旅していた時に2度訪れたことがある。インドのどの町でもそうだが、昔小さな村だったこのカジュラホも、ちょっとした町に変わっていた。有名な寺院群の前も舗装され、きれいに整備されていた。

 

ここには日本人の方が運営されている学校を訪ねるためにやってきた。さる方にご紹介いただいたのだ。カジュラホで12年学校を運営されているというその方は、なんというかとてもパワフルな印象の女性だった。ホテルの手配までしてくださったのだが、カジュラホに到着し、予約していたホテルを案内され、スタッフから窓がない部屋しか空いていないと告げられると、大きな声で抗議してくれた。お会いしたばっかりですっかり圧倒された。ちょっとした町になっていたとはいえ、こうしたローカルな社会で暮らしていると、いろんなしがらみが生まれるのだろうな、と想像する。互いに顔見知りばかりの町で必ずしもみな仲良くしているわけではない。むしろ田舎の方が熾烈なカースト・コミュニティ同士の相克が激しかったりする。その女性も時にインド人とケンカし、主張しながら、この狭い社会の中で自分の立ち位置を確保しようとしているかに見えた。

 

その方が運営されているメダカ小学校→http://ameblo.jp/medakachikako/

 

小さく粗末なレンガ造りの建物(2棟)を間借りして、職員室の他に3つの教室がある。ここに4日間ほどお邪魔した。

 

 

ク ラスⅠ~クラスⅤまでの小学校のみで、児童数はわずか22人。クラスⅠ&Ⅱ、クラスⅢ、クラスⅣ&Ⅴの児童がそれぞれ3つの教室に分か れ、授業を受けている。教科は国語(ヒンディー語)、算数、英語、社会の4教科で、毎日それそれ1時限ずつ勉強し、時々国語の代わりに社会を勉強すると いったカリキュラムらしい。朝8時から授業を始め、10時半ごろにランチを取り、更に1時間勉強してお昼には授業を終えて下校する。時計とは無縁な生活を している家庭が多く、また歩いて30分もかけて登校する児童もいるそうだが、毎日大体朝8時前にはちゃんと学校に揃っていることに少し驚いた。ちゃんと時 間に間に合うように親も子供たちを送り出すのだろう。このあたりのインド人の時間の感覚については少し見直した。

 

算 数と英語の授業を主に見学させてもらったが、算数の理解度はとても高いように思えた。クラスⅠの児童(6歳程度)が、日本の掛け算の九九に相当するものを 暗唱するのだが、20×10くらいまでを楽に覚えている。そしてこのくらいの年代の児童が割り算の筆算などを解いている。一方英語はというと、児童によっ て学習到達度にかなり開きがあるように感じた。上級生でも単語のスペルのあやしい児童もいる。

 

こ の学校は、運営形態としては政府の支援を受けない私立学校(Unaided private school)にカテゴライズされ、運営費用は個人的なつてを頼りに工面しているという。貧困家庭の児童を登録させ、授業料は無料だ。以前、→岐路に立つ 私立学校の運営 でも触れたとおり、インドにはさまざまな形態の学校が存在している。そして近年になって公立学校の建設が一気に進んだために、こうした無 償、もしくは福祉目的で授業料を低く抑えた学校はその存在価値を薄れさせつつあるように思う。実は公立学校も現状ではうまく機能していないことが全国的に明らかに なってきているのだが、それでも無償であり、貧困層の子供たちの教育の新しい受け皿となっている。

 

 

こうした背景を考える時、今回訪問したメダカ小学校も難しい立ち位置にあるんだなあ、と思う。Right to Esucation Act(無償教育法)が施行されて以来、こうした学校などの教育現場への行政の関与、介入が強くなっているらしい。

 

2つの授業を終えると、子供たちは運動場にシートを広げて、家から持ってきた弁当箱を広げて食事を取る。インドのカースト社会では食事というのは時としてセンシティヴな事柄だ。同じカーストに所属する者同士が、儀礼などのあとに食事を取るのには特別な意味があり、コミュニティの結束や互いを仲間として確認し合う大切な瞬間だ。そのため他のカーストに所属するものと食事の席を同じくすることを極端に避ける人々もいる。子供の通う学校ですら例外ではない。低い身分の女が給食作りに関わっていると、子供にそれを食べさせないように弁当を持たせる親さえいる。

 

メダカ小学校は給食などないし、子供の家庭背景も似たり寄ったりだ。しかし違うコミュニティに所属する子供たちが「輪になって一緒に食事をする」という、日本人にとってはなんの変哲もないことが、実はインドの社会ではとても画期的な面を持ち合わせていることを忘れてはいけない。学校という場こそが、こうしたコミュニティの垣根を軽々と子供たちに越えさせてしまう装置として存在する。

 

児童たちが持ってきているお弁当を撮影させてもらった。インドではお世辞にも栄養バランスのとれた食事が子供に与えられているとは言い難い。単に貧しくて食材に乏しいというだけではない。インドはアーユルヴェーダを生んだ国だが、普段の食事にはそもそも栄養バランスへの配慮が発想として全くないように感じられて仕方がない。子供たちの食事もたいていはチャパティ、野菜などの具のないプラウ(炊き込みごはん)、マギーというインスタントヌードル、それに少しアチャールのような漬けものがあるくらい。給食のある公立学校では、子供の栄養バランスの悪さを補うために、鉄分などの錠剤を配って飲ませることが多いという。