●岐路に立つ私立学校の運営

クシナガラで、インドマイトリの会が支援している学校について色々と話を聞いた中で意外に思ったことの一つは、私立学校には公的な補助金がないということだった。学費は児童一人当たりひと月30~50Rs程度と聞いていたので、その程度の額で集められるお金では学校運営には絶対的に不足しているだろう。しかも全員がキチンと学費を納められるわけではなく、場合によっては半数程度の児童しか学費を払えないという。だから児童一人当たりいくら、という形で政府から補助金がもらえ、私立学校というのは学費よりもむしろそれをアテにして運営されているに違いない、と自分は勝手に考えていたのだ(※)

それはある意味日本的な発想であり、貧富の格差が激しいインドでは、比較的裕福な階層の人の中に、教育への情熱に駆られて私財を投じ、校舎を立て、教師を雇って学校運営に乗り出す人が少なからずいるらしい。授業料も一応設定するが、あまり高くすると田舎では児童が集まらない。だからはじめから赤字の経営構造で運営しながら、不足のランニングコストは資産や家族の収入などから補てんして続けているらしい。

授業の質を確保するためには1クラス35人程度の児童数が理想だが、仮に40人程度の児童を1人の教師が教えると仮定しても、毎月1人30Rs-の学費として1200Rs-、毎月1人50Rs-の学費として2000Rs-しか集まらない。しかも収率100%で算定した場合だ。児童から集めた学費を全額教師の給与にあてても、ちょっとかわいそうになるような額だ。ちらっと聞いた話では、実際のところ、安ければひと月500Rs-とか、あるいは1500Rs-というのもあるらしい。この額は妥当なのかどうか。

それを検討するために、例えばインドにも最低賃金法というのがある。州ごとに、職種や能力によって、最低でも1日の日当としてこの程度は労働者として受け取らなければならない下限の額を定めたものだ。

→インドの最低賃金法

U.P州の職種42、Private Coaching classes, Private schools including Nursery School & Private Technical Institutions etc. in UP.の項を参照すると、日当の下限は教師としてのスキルの違いによって165.5Rs~209.46Rs(V.D.AとはVariable Dearness Allowanceの略で、諸手当を指す)となっている。すると1カ月25日働いたとして4000Rs~5066Rsは法律で定められた最低賃金ということになる。

もちろん、現実には法律に従っていられない部分もあるだろう。都市部と地方では生活物価も異なるだろうし。しかし例えばUttar Pradesh州では年間の世帯収入24000Rs-未満もしくは毎月の世帯収入2000Rs-未満の家庭を貧困層(EWS=Economically Weaker Section)と位置付け、さまざまな支援を行っている。教師という職業に就いても貧困層にカテゴライズされ、行政支援が必要な給与しかもらえず、他の職種と比較しても教師だけ極端に給与が少なかったり、遅配が常態化すると、やはりモチベーションも上がらないだろうし、専門職としての自覚も育たないに違いない。

クシナガラの中心にあるクシナガラパブリック小学校(名前にパブリックとつくが、私立の学校)は、あの界隈では授業がしっかりしていると評判で、入学希望者が多い学校だそうだが、現在でも学費は月に70Rs-で他と比較しても突出して高い上に、来季から100Rs-に値上げすると聞いた。一つの家庭から2人、3人と子供が通学する場合は、2人目、3人目と段階的に授業料を低く設定するという救済策も導入するという。それでも周りの他の学校と較べてかなり高めの学費となるようだ。この学費の値上げが、今後児童の通学にどのように影響を及ぼすのだろうか。進学を諦めてドロップアウト、転校、入学希望者の減少など、マイナスの影響が出なければと願うが、一方で学校経営という面から言えば、仮に登録児童数が多少減少したとしても、それをカバーするだけの収入が確保できれば、経営改善に寄与することになる。また、現状では明らかに児童が多すぎて教師:児童の比率が1:50とか1:55というような状況になっているとすれば、登録児童の減少が教育の質の改善に寄与するかもしれない。多くの児童に教育を提供することと、教育の質を確保することとを、どこかでバランスを取り、ベストパフォーマンスが発揮できるようにするのが学校経営に求められているはずだ。クシナガラパブリック小学校の取り組みはとても注目に値する。

日記でも記したことだが、以前のように田舎に学校がなく、教師もいなく、ただ子どもが生まれては何も学ぶことなく歳月とともに体だけが成長していくだけだった時代には、一部の、教育を受けられた恵まれた階層の人の中に、いてもたってもいられずに子どもたちに読み書きや計算の仕方を覚えてほしい、いろんな事や知識を学び、社会を変えていく力になって欲しい、と私財を投じて学校を作った人がいたのだろう。しかし、近年インドでは全土で一律に所得税や法人税に3%の教育目的税が付加され、それを財源に社会インフラとしての義務教育制度が整備され始めている。初等教育を中心に学校建設が進められ、不足している教師の養成が始まり、これまで教育に縁のなかった地方の貧困層にまで教育機会が届くようになってきている。これらの公立学校では、田舎の子供たちの栄養不良を少しでも解消すべく、不十分ながらも給食事業も実施されている。そのような状況の中で、これまで緊急援助的なスタンスで立ち上げられ、運営されてきた地域の篤志家たちによる私立学校も、自然とその役割を変えていく必要があるのではないだろうか。

裕福な篤志家の情熱が続く限り学校は存続するかもしれないが、始めから赤字体質の学校経営では、不安定でいつか倒れてしまう。給与に不満を持つ教師が逃げ、アルバイト感覚のスキルの低い教師だけが残り、児童も不安に感じ始めて他校に転向していく。ますます悪循環に陥るし、残った児童たちもかわいそうだ。

公立の学校が果たすべき役割とは別な次元で、私立の学校が担うべき役割を、自ら追及していく時期かもしれない。それがどういう学校造りなのか想像を膨らませられるほど、インドの社会状況に明るくないのが残念だが、単純に挙げれば進学率を競える学校造りというのは一つの方向性だろうし、あるいは職業教育を重視するのも一つの方向性だろう。インドならではの宗教・道徳教育に重点を置くのも一つあるだろう。学校に通うタイミングを逃してしまった働く少年少女や大人たちを対象にした教育もあるだろう。いずれにしろ、公立学校にはない特色を持たせ、打ち出していく中に私立学校の活路があるだろうし、授業料を払ってでも子どもが通いたい、子供を通わせたい、という学校造りが今後ますます求められているのではないかと思う。

一つだけ懸念する点を挙げると、こういった「公立学校との差別化」がインド社会の「悪しき慣習」と結びつかないで欲しいという点だ。私立学校にとってもっとも手っ取り早い公立学校との差別化は、「ダリットや低カースト層のいない学校」をカースト意識の高い一部の親たちにアピールすることだ。公立の学校が、その地域の児童であれば基本的に誰でも受け入れるのが前提となっているのに対し、私立学校は児童の入学許可にも独自性を発揮できる。そしてこういった親たちの方が所得が高く、社会的立場が高かったりして、私立の学校にとっても格好のお得意さんだったりする。「公立学校でうちの子供がダリットの子供と机を並べて勉強するなんてとんでもない」と考える親にとって、「ダリットフリー、低カーストフリー」の私立学校は魅力的というよりも、なくてはならない存在かもしれない。

インド政府もこの点を大いに懸念しているようで、貧困層をEWS(Economically Weaker Section=経済的弱者層)と規定し、私立学校に対し児童全体の25%をこれらEWSの児童に割り当てるように義務付けている。しかしそれが守られず、たとえ学費を払う用意があっても実質的にそういった階層の児童に門戸を閉ざしている学校もあるという。クシナガラで聞いた限りではそういった話を聞かなかったが、先に挙げたクシナガラパブリック小学校ではムスリムの児童を受け入れないと聞いた。残念だがこれも一種のdiscrimination(差別)には違いない。子どもには何の罪もないのだから。

 

→Aji ka India家柄、カースト、経済力。。。不公平なインドの小学校入学」 

 

(※)他の地域ではアーダー・サッカリーという政府が一部補助している民間の学校があるらしい。また、それとは別に児童に対する奨学金制度がある。例えばEWSに属する児童のほか、成績優秀者に対する奨学金贈呈もあるらしい。学校の中には多数の架空児童を登録して奨学金申請しているケースもあると聞いた。