●自転車における男女のバイアス

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ゴラクプルで初めて女子の学生が自転車で通学している姿を見た時、ちょっとした衝撃だった。昔インドを1年かけて1周した時も、その前も、今回デリーから移動してくる途中でも、インドの女の子や女性が自転車に乗っている姿を一度も見かけたことがなかったからだ。ゴラクプルからクシナガラに移動すると、クシナガラでもそれは普通に見られる光景だった。

クシナガラ到着後、何日かしてたまたま読んだHindustan Timesで、ちょうどそのことに関連する記事を目にした。それはCycles-for-girls projectと呼ばれる政策についての記事で、西ベンガル州の、主に地方のクラス9に進学した女子学生に対し、州政府が33000台の自転車を贈るというものだった。インドでは初等教育にあたるクラス1~クラス8までの学校については、子どもの事情を考慮して通学距離1km以内に学校が配置されるように建設が進められている。しかしクラス9以上になると、ぐっと学校の数が減り、通学手段のない児童は進学をあきらめがちになるという。特に女子は男子に比べて進学率が落ちるので、こういう政策が取られるのだという。

贈呈式で自転車をもらった女子学生は「今までは2時間近くかけて学校まで歩いて通っていましたが、自転車をもらったおかげでもっと時間が短くなりそうです」と記事の中で述べている。

ブッダデブ州政府首相は、「今まで道路や橋がなかった地域にも、州政府がそれらを造ったことによって自転車が通行できるようになり、児童たちが自転車で学校まで通学できるようになった。」と自ら率いる州政府の功績の宣伝を忘れない。というのは西ベンガル州では、この4月から州議会選挙を控えているという事情があるからだ。この政策のさきがけは隣のビハール州だという。ビハール州では2007年度から段階的にのべ90万台近くの自転車を女子学生に配り、昨年の州議会選挙の勝因の一つになったといわれている。西ベンガルの場合は政治的な思惑から余った予算であわててやったという感も否めない。

この新聞記事を読んだ時、ちょっとした失望感を感じた。女子児童の就学に対する意識が変化し、親が当たり前のように通学手段として買い与えるような社会状況にインドが成熟したというよりも、まだ政策として配っている段階であることを知ったからだった。この記事で紹介されている州政府首脳の言葉が、奇しくもこの政策の背景にある社会状況を露わにしている。

“Both Bhattacharjee(ブッダデブ州首相のこと) and Kanti Ganguly, minister of Sanderban affairs department, described the cycle as a tool of social revolution. They urged the parents to educate their daughters and not to consider them a liability.”

「ブッダデブ州首相とカンチ・ガングリー・サンダーバン地区長官は、自転車を社会変革のツールと位置付けた。そして女子学生を娘に持つ親御さんたちに対し、どうぞ娘さんたちに教育機会を与え、決して娘さんたちを【障害、マイナス、あるいは重荷】と捉えないで欲しい、と訴えた。」

最後にliability(障害、マイナス、あるいは重荷)という言葉を使っている。娘を重荷だという意識を持つ親が少なからずいるから、近くの小学校を卒業したら十分だろう、家事でも手伝いなさい、という話になりやすい。

ゴラクプルやクシナガラを擁するウッタル・プラデシュ州はどうなのか。帰国して調べてみると、ささやかながらあるようだ。2009年、どんな基準か分からないが52000台の自転車を女子学生に贈り、2010年からはスタンダード10の試験をパスした同州の女子学生のうち、貧困層に属する学生を対象に、自転車とともに15,000Rs-の報奨金を贈ることを決めたそうだ。比較的ハードルが高いのは、同州が約2億人というインド最大の人口を擁するせいかもしれない。確かにゴラクプルやクシナガラで見かけた自転車に乗った女子学生は、高校生かもっと上ぐらいの世代に見えた。U.P州政権を担うBSP(Bahujan Samaj Party)のサイトに掲載されているマヤワティ州政府首相の言葉は英語で以下のように伝えられている。

''She said that these schemes prepared by the Government would ensure that the girls were not a burden on their families. She said that the State Government had implemented these schemes with an objective to make the condition of girls respectable and also to ensure education of poor girls.

「州政府のこれらの政策により、女の子が家族の中で決して【重荷、負担】ではない、ということを訴えたい。そしてこの政策が実行されることにより、女の子がより尊重される社会を作り上げ、貧困層の少女への教育を保証するのが州政府の狙いである、と述べた。」

やはりburden(重荷)という言葉を使って、家庭での女の子の立場を表現している。

そのほかの州については、オリッサ州では2006年から指定カースト・指定部族の女子学生に自転車を贈ってきたが、今年からさらにそれを拡大し、州立学校及び州が補助している学校のクラス10に進学する全ての女子学生と、クラス10に進学する指定カースト・指定部族の男子学生に無料で自転車を贈ることを決めている。

ラジャスタン州では2007年に21000人の女子学生に自転車購入資金の一部負担が実施されたようだが、詳細は分からない。マハラシュトラ州でも同様の動きがあるそうだ。

 

実際のところ、それほど女子の進学率が低いのかというと、昔はかなり男子と比べて差があったものの、今はずいぶん事情が変わってきているようだ。直近のデータがないので2001年の国勢調査のデータから抜粋すると、男女の学歴には依然として差があるものの、それほど極端ではない。また非識字者を年代別に見ても(2001年時点)、20歳以上の世代は上に行くほど男女差が激しいが、20歳未満の世代では差が縮まって来ている。2011年の国勢調査の速報でも、トピックの一つとして識字率の伸び率が男子よりも女子の方が高く、男女差が大幅に改善したことが挙げられる。恐らく詳細な結果が発表されると、現役学生世代ではかなりジェンダーギャップが改善されているに違いないと予想できる。

※7歳未満は除外
※7歳未満は除外
2001Censusデータより作成
2001Censusデータより作成

インドで女子が自転車に乗り始めることの意味合いは、単に学校へのアクセスが容易になるとか、田舎での通学途上の防犯になるということにとどまらず、むしろもっと大きな意味合いがあるのではないだろうか。クシナガラに50年前の自転車を現役で乗り続けている名物校長先生がいるように、インドには昔から自転車があり、男子は普通に乗っていた。しかし女子が自転車に乗ることをよしとしない風潮もあったようで、今でもインドで既婚以上の女性が自転車に乗っている姿を見ることはほとんどない。マハラシュトラ州で女子児童に自転車購入代金を補助しているNGOがあるようだが、最初は村の人の抵抗が大いにあったという。インドで女子が自転車に乗る文化というのは、つい何年か前に始まったものなのだろう。だから日本で昔、新聞屋さんが乗ってたようなごつくてサドルの硬い、男性用の大きな自転車は普及品で値段も安いようだが、婦人用の自転車は比較的最近出回り始めたようで、値段もまだ高い。日本のママチャリと違って庶民が手軽に買えるものではないようだ。

クシナガラの郊外の農村で、10歳くらいの女の子が男性用の大きな自転車に乗っているのを見たことがある。正確にいうと乗っていたのではなく、体が小さくてサドルまで届かないので、頭の高さまであろうかというハンドルを握り、ペダルに片足を乗せて、反対の足で地面を蹴りながらスイスイと田舎の道を走っていたのだ。普通に歩くよりその方が早いからだろうか。また、インドマイトリの会のスタッフの方に聞いた話では、昨年、日本の絵画コンクールに絵を出品して入賞した女の子に図書券が贈られ、インドでは使えないので換金して「何が欲しい?」と聞いたら「自転車が欲しい」という答えが返ってきたそうだ。

このように、女の子が当たり前のように自転車に触れ、「自転車が欲しい」と何のためらいもなく言えるようになり、周囲もそれを認めるようになってきたことに、とても明るいものを感じる。自分たち日本人について考えてみても、子どものとき初めて自転車を買ってもらい、乗れるようになったときのことを覚えている人はとても多いだろう。子どもの足ではなかなか行けなかったところまで自転車で行けるようになり、毎日ひたすら冒険に出かけたはずだ。大人になっても、初めてオートバイを買ったとき、自動車を買ったとき、自分の気が向いたときにどこでも自由に行け、世界が広がったことを誰もが実感したはずだ。そして一度それらを手にすると、二度とそれらのない生活を送ることが難しいこともよく知っている。

自転車によって、自分たちの世界を広げた女の子たちは今後どうなるのだろう。いずれ結婚し、主婦となっても、一度自転車を自在に乗りこなす生活を体験をすると、もう後戻りはできないはずだ。母親世代よりも行動範囲が広がり、母親世代の知らない場所を知っている。保守的な農村の男性からは女のくせに、と批判を浴びることもあるかもしれない。自転車にまたがることも、ペダルをこぐこともできないサリーの代わりに、結婚前のようなパンジャビドレスかジーンズに履き替えるのだろうか?伝統的なドレスコードすら将来的には揺るがしかねない。それだけでも自転車は、a tool of social revolution(社会変革のツール)としての力を十分に秘めていると思う。

マハラシュトラ州プネーで女子学生の自転車通学を促進しているNGO、その名も"Ashta no Kai"の紹介。団体の名前は日本語から名付けたそうだ。