子供たちはこうして差別される-インド有名私学の話

 

→子供たちはこうして差別される

デリーのお金持ちの子弟が通う有名私学で実際に起きたことが紹介されている。経済格差が学歴格差に直結する傾向にあるインドでは、私立学校に一定の割合で経済的弱者層(Economically Weaker Section)に認定された家庭の児童を無料で受け入れることが義務付けされている。しかし私立学校としては、決して前向きな姿勢ではなく、しぶしぶ受け入れているのが現状だ。下層階級には入学願書を渡さない、願書に法外な値段を付ける、「申し込み期間が終了した」と嘘をつく、などあの手この手で下層階級からの入学志願を受け付けないのは日常茶飯だと言われている。

学校側としてもお金にならない児童を受け入れることは、利益にならないどころか、他の児童の親たちにその分も上乗せした学費負担を求めることになる。それ以上に深刻なのは、お得意様である上流層の親たちから「うちの子をあんな子たちと机を並べて勉強させられない」とクレームがくることだ。インドは今でもれっきとしたカースト社会だ。言葉通りに「低カーストと同じ机に並んで座ることによって穢れる」と信じる親が多いのだ。そしてそういった下層カーストの子供たちが増えることは学校としての「格」も下がると学校の運営者は考えている。

St. Andrews Scots Senior Secondary Schoolは、日本でいうところの保育園、幼稚園、小学校を擁するデリーの名門私立学校だという。規制により、全児童の10%にあたる児童は経済的弱者層(Economically Weaker Section)からの出身で占められていて、月に2500Rsかかる授業料は免除されているという。これら授業料が免除されている児童に限り、制服の襟にF/S...(=Free Chargeの意味)の文字が入れられたものを着用する決まりになっていて一目でわかるようになっていたという。

こういう、見ただけでわかるような目印を強いるやり方というのは、昔カースト・ヒンドゥーたちがアンタッチャブル(不可触民)にそれとわかるような目印をつけさせたのを彷彿とさせる、インドではとてもあからさまなやり方だ。F/Sの目印のついた特定の子供だけ別の教室で勉強させたり、椅子ではなく床に座らせたり、トイレの使用禁止、祈りの集会への参加を「マナーやエチケットが備わっていない」として拒絶されるといった差別的待遇もあったという。

また、学校前教育(幼稚園)に子供を通わせている親は、「うちの子が『臭い』という理由で、1ヶ月半にわたって他の子供との交流を禁じられていたことを知ったときショックを受けた」と話す。そして親たちの苦情を受けて子ども人権委員会のメンバーによる調査が入るのに先立ち、子供たちは学校関係者からチョコレートを渡されて、口止めや嘘をつくように言われたという。また、教師が子ども人権委員会に不平を申し立てた親のもとを訪れ、申し立てを取り下げないと子どもがひどい目に遭うぞ、と脅迫されたとも言っている。

明るい兆しもある。それは親たちがそういった子どもが受けている待遇を問題だと受け止め、NGOの助けを借りながら、しかるべき行政機関に訴えたことだ。インドの差別の歴史では、差別を受ける側がそれを問題視することすらなかったという側面がある。「おかしい」と声を上げ始め、それを受けてデリーの子ども人権委員会がきちんと調査を始めたことで、この学校では子どもたちの襟の目印は即座に廃止されたという。デリーでは比較的行政が法律(Right to Education Act 2009)を重んじてしっかり対応していることもあるようで、こういった問題が表面化しやすい。しかし他の都市、地方では全くこういった問題が露わにならないのはなぜだろう。

 

→教育基本法を踏みにじる学校に、親たちは反撃を始めた


貧困層の子供たちは、こうして教師たちからもあからさまに疎まれている。学校では唯一頼りにするしかない先生にまで疎んじられながら、なぜ親たちは子どもを通わせたがるのだろう。そんな学校はさっさと辞めてしまって他の学校に転校すればいいのに、と思ってしまうが、有名私学で授業を受けることは、子どもたちの未来を開くことだと貧困層の親たちにも受け止められているのだろう。一方でいろんな意味でレベルの低い公立学校に対する不評も根強いようだ。無料の公立学校は貧困層の児童だけが通い、良い教師も揃っていない。授業料をしっかり取り、図書室やコンピュータ教室など設備の充実した都市部の私立学校には、高額な報酬を約束された優秀な教師が集められ、金持ちの上流家庭の子息のための教育が行われている。授業はEnglish Mediumと呼ばれる、つまり英語での授業が基本だ。試験もCBSEなど全国レベルの高い競争の試験が受けられる。

 

こうした状況から浮かび上がってくるのは、インドでは教育施設は、カースト制度に対応する形で存在しているということだ。都市部の高位カーストの子弟のための私立学校、最下層の子どもが気兼ねなく通える田舎の公立学校、中間にあるのは都市部の公立学校と田舎の私立学校だ。ここには最下層でもなく、かといって授業料が極端に高い都市部の私学にも通えない子供たちが通っている。大雑把な3段階の中に、さまざまな学校がなんとなくランク付けされてひしめいていて、恐らく地域のカーストの実情に合わせて大体どの階層の子供がどの学校に通うのか、ぼんやりとした不文律のようなものがあるのかもしれない。記事で紹介されているSt. Andrews Scots Senior Secondary Schoolのように、場違いな学校に場違いな児童が入りこむと、排除しようという集団力学が自然と働く。

こうした状況を改善するためには、私学教育においてこうした行政の介入による格差是正を進める一方で、公立学校の質的向上を図ることだ。今の段階では私立学校と公立学校ではずいぶんと教育の質に開きがあり、特に田舎の農村部の公立学校などは、貧しい農家の子供が給食目当てで通うところ、と揶揄されているほどだ。今、インドでは猛烈な勢いで公立学校が建てられているが、ハードとなる施設は出来上がっていても、教師となる人材の育成には時間がかかり、遅れていると言われている。教師訓練学校の設立、教師試験制度の導入なども始まったばかりだ。しかしこれからは数の上では公立学校が私立学校を凌駕するはずだ。公立学校の生徒の中から上級の高校、大学にまで進学する児童が増えてくるようになれば、公立学校に対するイメージも自然と変わるだろう。やがて前述したような私立学校への貧困層の優先割り当ても必要性がなくなるかもしれない。『公立学校に力を』それがインドの教育制度における目下の重要課題ではないだろうか。

 

→関連記事:家柄、カースト、経済力・・・不公平なインドの小学校入学

 

→子供たちはこうして差別される その2 も参照