アッサム暴動に見るインドの分断ぶり


 

7月下旬に起きたアッサム州におけるボド族とムスリムの衝突は、集落の焼き打ちと多くの避難民を生み、その後遠く離れたムンバイで報道に激怒したムスリムのデモが暴徒化した揚句に、多数の負傷者(主に鎮圧にあたった警察官)を出すに至って、インド全土に大きな衝撃を与えた。日本でも一連の動きが伝えられている。

→アッサム民族抗争、ムンバイに飛び火(NNA.ASIA)


両コミュニティの軋轢は今に始まったことではない。もう数十年もこうした衝突が散発的に続いており、感情的な対立は根深いものがあるという。チベット語族であるボド族と、断続的にバングラデシュから(多くは不法に)移住してきたムスリムであるが、今ではムスリム人口の方が州人口の33%を占めるほどになっているという。対するボド族はわずか6%弱、昔は祖先崇拝とアニミズムを信仰していたが、現在ではヒンドゥに取り込まれて9割がヒンドゥ教徒だという。

このような対立構図になると、ムスリムとの激しい対立を経験してきたヒンドゥ教徒のインド人は、心情的にボド族の味方になると思いがちだが、そうではないところにインド社会の複雑さと分断ぶりを感じずにはいられない。

インドのカースト社会には、元来北東部の少数民族、モンゴロイド系民族に対する差別意識が根強く存在する。アーリア人を頂点としたヒエラルキーでは、アディヴァシのようなオーストラロイドとともに、チベット語族などのモンゴロイドは不可触民と同列に見なされてきた歴史がある。もう、紀元前の昔からなのである。彼ら少数民族の多くはインド社会でさまざまな不利益を被っているとして、政府からST(Scheduled Caste=指定部族)の認定を受けており、優遇策の対象となっている。しかし一般社会においては普段からひどい虐待や差別を受けることは珍しくない。大学の寄宿舎などでこれら北東部出身の学生がひどいいじめを受けて自殺した、というニュースも時々報道される。

またボド族をはじめ、インド北東部の少数民族の中には各地域で独立運動をも起こしており、インドの治安部隊と何度も衝突してきた。こうした事情を知るカースト・ヒンドゥの中には今回の暴動を冷淡に見ている者もいると言う。

45人の死者を出した暴動を受け、コクラジャール地区をはじめ、いくつかの地域にインドの治安部隊が投入され、戒厳令が敷かれている。事態の悪化を恐れて避難した人々は30万人とも50万とも言われており、半分は避難キャンプに留まり、他はインド各州の大都市にまで逃れたようだ。

ところが、それらの都市でもモンゴロイドの顔つきをした北東部出身の人々が町中で突然襲撃されたり、脅迫されたりするような事件が相次いでいるという。報道に接したムスリムだけでなく、町中にこうした北東部出身者が目に見えて増えてきたことに嫌悪感を表す人々も少なくないという。今回の暴動とは全く無縁の、元からその街に住んでいる人々も被害に遭っているのだというからタチが悪い。先日プネーで逮捕された中にはヒンドゥ教徒らしき名前の若者も混じっている。彼らが襲ったのはマニプール州の若者であり、今回の暴動とは全く無関係なのだ。

→マニプール州若者への暴行で2人が逮捕

こうした被害が相次ぎ、自分の身の危険を感じたり、故郷の親兄弟や親せきの安否への心配もあって、アッサム州から逃れてきた人々だけでなく、既にその街に住みついていた人まで学業や仕事を放棄して、自分の出身地である北東諸州に戻る動きが活発化していて、駅に大挙して詰めかけているという。

チェンナイがあるタミル・ナードゥ州、バンガロールのあるカルナータカ州、プネーのあるマハラシュトラ州などはこうした北東部出身者に万全のセキュリティを訴え、街を去ることのないように呼びかけているが、今のところ効果は限定的のようだ。このような状況が続けばインド国内に数十万人に及ぶ大量の流浪民が発生する恐れが出ている。