揺れるインドの死刑制度


 

インドの死刑制度が揺れている。揺らしているのは他でもない、プラナーブ・ムカルジー大統領だ。

インドは日本と同様に死刑制度を保持している国の一つだが、実際にはここ10年以上にわたり、刑の執行を抑制してきた。犯した犯罪の内容により死刑判決は毎年100件以上出されるものの、2001年~2011年の11年の間に、インドで死刑が執行されたのは2004年の1件だけだった(The State of Death Penalty in India 2013 byASIAN CENTER FOR HUMAN RIGHTS)。

インドの司法制度は大変複雑だが、刑事事件は基本的に三審制の中で扱われる。最終的に裁判で死刑が確定した被告は死刑囚専用監房に収容されるが、その後自動的に刑が執行されるわけではない。むしろそこから長い監房生活が待っているのだ。

裁判で死刑が確定した死刑囚にも一縷の望みがある。インド共和国憲法では、刑が確定した受刑者に対し、特赦や刑の執行延期、留保、減刑などの権限を大統領に与えているのだ(72条)。そのため収監された死刑囚の家族や弁護士などによって、大統領宛に救命を求める嘆願書が提出される。それぞれの嘆願書とともにインド内務省がその取扱いについて大統領に提言し、最終的には大統領が犯情に照らし合わせて、その嘆願を汲むかどうかの判断を下す。判断を下すのに時間的制限は設けられていないため、それらを「留保」することによって刑の執行が長く据え置かれることもよくある。20年以上「留保」されている死刑囚もざらにいて、中には獄中死を遂げるものもいる。一方で終身刑に減刑される死刑囚も数多くいる。そして大統領が却下の判断を下せば、時機を見て刑が執行されることになっているが、これもまた数カ月かかることが多い。そもそもインドでは死刑の執行が決まった死刑囚には、家族との最期の面談を許すために一定の期間を設けるのが定例となっているそうだ。

インドの大統領職は5年任期だが、前3代の大統領は死刑に対し抑制的な姿勢を貫いてきた。下の表は過去三代の大統領の就任期間中に執行された死刑の執行数と、死刑囚の救命嘆願書が却下された件数だ。

  任期 大統領名

任期中の

死刑執行数

任期中に嘆願書を

却下した件数

第10代 '97~'02 K.R.ナラヤナン 0 0

第11代

'02~'07 A.カラム 1 1
第12代 '07~'12 P.パティル 0 3
第13代 '12~ P.ムカルジー 2 + ? 16 + ?

 

そして2004年の死刑執行が行われた翌年2005から2006年にかけて、それぞれ1000人以上の死刑囚が終身刑に減刑されるという奇妙な現象が起きている。この一時期、刑務所にあふれかえっていた死刑囚を極端に減らすことにより、抑制される死刑の執行状況に合わせようとしていたように思える。しかしその後も裁判では毎年100人以上の刑事被告に死刑判決が出されているのも事実だ。

 

 

死刑判決が

確定した人数

終身刑に減刑

された人数

死刑執行数
2001 106 303 0
2002 126 301 0
2003 142 142 0
2004 125 179 1
2005 164 1241 0
2006 129 1020 0
2007 186 881 0
2008 126 46 0
2009 137 104 0
2010
97 62 0
2011 117 42 0

The State of Death Penalty in India 2013 by ASIAN CENTER FOR HUMAN RIGHTS より引用

 

昨年7月に就任したムカルジー大統領はかつてないペースで、自身に回ってきた救命嘆願に判断を下しており、アジマール・カサブ死刑囚(ムンバイテロの実行犯)を2012年11月に、アフザル・グル死刑囚(インド国会襲撃事件の共謀犯)を2013年2月に、それぞれ死刑の道を開いた。カサブ死刑囚の死刑執行は実にインドでは8年ぶりとなった。その後も大量殺人犯や強姦と殺人を犯した重罪犯を中心に救命嘆願の却下を進めている。2月には6人、そして4月5日は8人の死刑囚から提出されていた救命嘆願を却下したことが公表された。そのうちの一人、ダランパル死刑囚はすでに刑が執行される刑務所へ身柄が移送されたと伝えられている。彼は1991年に10歳の少女を強姦した罪で有罪判決を受け、10年の懲役刑を務めていたが、わずか2年で仮釈放され、その仮釈放中に強姦被害者の家に忍び込み、被害者少女を含む家族5人を皆殺しにした罪で死刑判決を受けた。この殺人に関わったダランパル死刑囚の兄弟(兄か弟か不明)のニルマル受刑者も一時は死刑判決を受けたが、その後終身刑に減刑されている。

→大統領、大量殺人犯や強姦殺人犯などの救命嘆願を相次いで却下

一方で、死刑制度を巡る大統領の急進的な姿勢に対して司法界にはとまどいもあるようで、最高裁は急きょ、今月救命嘆願が却下された8人の死刑囚に対する刑の執行について、4週間の猶予期間を取るよう求めた人権団体の訴えを認めた。前述したように、インドでは死刑の執行が想定される死刑囚について、最期の面談期間を設けるために、家族に周知して一定の期間を設ける習わしがあるのだが、先のアフザル・グル死刑囚の死刑執行の際には国内での反発や暴動が起きる恐れを考慮して、嘆願書の却下から1週間足らずのうちに秘密裡に執行されたことが大きな問題となった(実際にはそれでも死刑執行後にハイデラバードで爆弾テロが起きたわけだが)。そうした死刑囚に対する人権上の配慮がインド政府及び司法界の中には一定程度存在し、そして死刑執行の抑制論にもつながっているようだ。

インドの刑務所白書(Prison Statistics India 2011)によると、2011年12月31日の時点でインド国内で収容されている死刑囚は477人となっている。少なからずその中から終身刑に減刑されるものがいたとしても、2012年以降も新たに死刑囚が収容され続けており、現在の執行状況では今後も死刑囚が刑務所にますます増えていくことになる。彼らの処遇をどうするのか。このペースで死刑執行が進めば、インドは中国やイラン、サウジアラビア、イラクに次ぐ「死刑大国」になる可能性も出てくる。精力的に救命嘆願の処理を進めるムカルジー大統領と、なるべく急激な死刑執行数の増加を国内外に印象付けたくないインド政府、司法界との間で微妙な食い違いが波紋として広がっていく中で、死刑制度に対して根本的に腰の座っていないインドの姿勢が垣間見えるようだ。

参考資料:India Death Penalty Report 2013(ASIAN CENTER FOR HUMAN RIGHTS), Prison Statistics India 2011(National Crime Records Bureau, Ministry of Home Affairs India)