キスをめぐる問題



発端はケララ州で放送されたテレビのニュースだった。ケララ州コジコデ(カリカット)にあるコーヒーショップが、大学生を中心とする若者たちの間で恋人とのデートを楽しむ場所になっていて、単におしゃべりを楽しむだけでなく、抱擁したりキスをしたりする恋人たちの姿が当たり前のようになっているのだという。それを「いかがわしい」として紹介したのだ。


 

確かにニュースの映像を見るかぎり、カフェの建物の裏に広がるちょっとしたオープンスペースに、幕を張り巡らせて目隠しのようにして外部からの視線を遮る中で、若い男女のカップルがチャイを飲みながらおしゃべりを楽しむだけでなく、抱き合ったりキスを繰り返す姿まで映し出されている(個人が特定できないように映像処理されている)。閉ざされた空間という安心感もあるのだろうが、インドの街中では決して見られない光景だ。


このニュース映像に敏感に反応したのが、ヒンドゥ右派政党のBJPの青年部にあたるBJYM( Bharatiya Janata Yuva Morcha )だった。即座にそのカフェの場所を突き止め、堕落した若者の姿はヒンドゥの伝統にそぐわないとして、集団で襲撃したのだ。襲撃当時、客はいなかった。しかしカフェのガラスや備え付けのテーブルやいすを破壊した様子がニュースで報道されると、さらに大きな波紋を投げかけた。



ヒンドゥ右派の過激な反応に、今度は大学生を中心とした一部の市民が激しく反発した。インドでは以前から、若者が公園でデートを楽しんだり、未婚の男女が二人でおしゃべりしている現場を狙って、ヒンドゥ右派のグループが襲撃をしたり、威嚇したり、説教をする「モラル・ポリシング」(道徳自警活動)が起こっていた。


バレンタインデーは反インド的か


Facebookで集まったメンバーが、「キスの何が問題なのだ、愛の表現だ、みんなで集まって堂々とハグとキスをしよう」とモラル・ポリシングに対する抗議デモと集会(Kiss of Love)をケララ州都のコーチで計画したところ、多くの賛同者が集まった。しかし警察からは治安上の問題から道路使用の許可が下りなかった。


 

以前からインドでは警官たちの一部にも、こうしたカップルでデートを楽しむ若者たちの振る舞いを快く思わず、高圧的な態度で説教をしたり警棒で攻撃するなど、過剰な対応をする者がいたのだ。そうした背景もあり、警察はどちらかというと若者たちの動きには冷淡で、そうした集会は混乱を呼び、公共の秩序を守れないのでやめるように警告していた。


そして集会の予定日、コーチのマリン・ドライブ周辺は集会に反対するヒンドゥー右派グループが集まり、不測の事態に備えて警官隊も配置される中、許可が下りないまま、集会予定場所のマリン・ドライブに向けて若者たちがデモ行進をはじめた。集会予定の現場に到着する直前に警官隊によって実力で阻まれ、主催者など50人前後が検挙される騒ぎになった。



しかしこの一連の騒ぎはケララ州だけの騒ぎに収まらなかった。この騒ぎがニュースとしてかけ巡ると、インドの名門大学の中でも最高峰と言われるインド工科大学ムンバイ校(IIT-B)や、ハイデラバード総合大学、コルカタなど他都市の大学でも、Kiss of Love のデモや集会が伝播し、有志が集まって急遽行われた。いずれもヒンドゥ右派グループが乱入し、互いにスローガンを叫びあい、罵倒しあって、乱闘直前の険悪なムードのまま解散となったという。



こうしたKiss of Love の集会では、デモンストレーションとしてカップルたちが、また仲の良い友人同士でも親愛と自由の証として、頬にキスをする姿があちこちで見られたそうだが、モディ首相の出身地、ハイデラバードでは、警察が刑法を適用して公衆の面前でキスをしたカップルを逮捕する動きがあるという。



インド刑法(Indian Penal Code)の294条では公衆の面前でいかがわしい行為を行ったり、いかがわしい歌や言葉を発する者に3ヶ月以下の禁固刑と罰金刑を科すと規定されている。公共の場所でキスをする行為がこの規定の「いかがわしい行為」にあたるかどうかというと、過去の最高裁およびデリー高裁の判例では「抵触しない」と明確に判断されている。



そうした実例からすると起訴は難しいのだろうが、デモ参加者を実際に検挙したり、逮捕を模索する動きは、「警察はどちらの味方か」をはっきり示しているといえるだろう。


●Kiss of Love movementをめぐる背景


 

この一連の騒動の背景の一つとして、大学生を中心とした若い層の台頭がある。昨今の教育・進学ブームのおかげで、多くの若者が大学を目指すようになった。アメリカへ留学するインド人学生も増え、授業料の免除や優遇措置を受ける優秀な留学生もいる。エンジニアにでもなれば、アメリカやヨーロッパで職を得る道も開ける。

 


彼らは欧米風のライフスタイルに憧れ、受け入れることに抵抗がなく、信仰よりも物質的な豊かさを追求することに快楽を見出す。家族よりも友人たちと多くの時間を過ごす。スマフォとPCを自在に操り、ネットで自由にコミュニケーションができる。自由を愛し、社会的束縛に敏感に反応する。

 


女子も例外ではない。未婚の女子が会社勤めをするライフスタイルは、少し前までのインドではほとんど見られなかったが、最近では高学歴の女性が都会で企業に採用されることが多くなった。日本と同様、都市部では毎朝、若い女性が通勤する姿が目立つのだ。日本のようにOLスーツの女性もいるが、多くは伝統的なパンジャビ・ドレス姿だ。


 

もちろんこうしたライフスタイルを選ぶ人、選べる人は、インド全体から言えばまだ一握りに過ぎないだろう。しかし少しずつ増えていることには間違いなく、それに連れてこうした層の婚期が従来より遅れているのだ。新聞の結婚相手を募集する欄などでは、蒼々たる学歴や職歴を誇る30歳前後の女性のプロフィールが決して少なくない。

 


このように、インドの一部の若者層の間で進学や就職により婚期が先へと伸びると、どういうことになるか。人生の中でモラトリアムを迎える若者が出現し始めているのだ。インドでは短期間の、最低限の学生期を経て、精神的に未成熟なまま親の取り決めでパッと結婚して大人の仲間入りをするライフスタイルが伝統的だったし、今でもそれは一般的だ。しかし一方でこうした青年期(モラトリアム)を迎える若い男女の間で、将来結婚するかどうか不確かな、しかも親同士の承認のないところで自由に交際する関係が生まれるのは、ある意味当然の成り行きとも言える。

 


とはいえ、インドはまだ未婚の男女の交際について寛容な社会ではない。恋人たちは公園で会話をして時間をすごすか、ショッピングモールでデートをする。都市部のモールに入っているシネマコンプレックスの前で待ち合わせをする男女の姿もよく見かけるし、男女が入り混じった、ちょうどグループ交際のようなほほえましい光景もよく見かける。しかしなるべく家族や近所の人の目に触れない遠方に出かけてデートをするなど、涙ぐましい努力をしているカップルが多い。


→Tシャツ世代とモラトリアム を参照


一方、この一連の騒ぎにはもう一つ欠かせない要素がある。それはヒンドゥ右派の活動の活発化だ。インドではこの春の下院選挙でナレンドラ・モディ氏が率いるヒンディ右派のBJPが政権を奪還した。しかもインドでは久しぶりの一党が過半数を占める本格政権となったのだ。モディ氏は出身のグジャラート州の州知事を務め、同州の奇跡的な経済発展に貢献したことで国政への転身が全国レベルで期待されていたこともあって、まさにモディ旋風を巻き起こしたのだ。

 


BJPはその後の統一補欠選挙では惨敗したものの、先月行われたマハラシュトラ州とハリヤナ州の上院選挙では圧勝し(インドでは2院制を採用している州が多い)、いずれの州でも政権を奪還した。

 


このBJPの圧倒的な人気に、マハラシュトラ州のShiv Senaのような極右政党がすり寄る動きを見せ、さらにシンパシーを共有するRSSやABVP、VHPといったヒンドゥー右派団体も活動を活発化させている。


これらヒンドゥ右派グループは、このKiss of Loveムーヴメントと対立しているほかにも、かねてからイスラム教徒の男性がヒンドゥ教徒の女性と恋愛の果てに結婚し、女性をムスリムに改宗させる動き(右派によってLove Jihad=愛による聖戦と呼ばれている)にも強く反発しており、イスラム教徒との対立も先鋭化している。


とにかくヒンドゥ教徒によるヒンドゥ教徒のための国=Bharat(インド)を目指しており、イスラム教徒やキリスト教徒、仏教徒、シーク教徒、ジャイナ教徒やユダヤ教徒など、多様な宗教が共存し融和する「世俗国家」インドを目指す国民会議派とは主張を根本的に異にしている。


今、起きているモラル・ポリシングと、それに反発するKiss of Loveムーヴメントの背景には、こうした最近のインド社会に台頭する2つの異なる潮流が、まさしくぶつかってところで起きている現象といえるのだろう。


→Facebookでも脅迫と言葉の応酬、kiss of LoveキャンペーンはデリーのRSS本部前で

 

→停学処分に反発、ケララ州の大学でまたもや  ” ハグ オブ ラブ ”  のデモンストレーション


→Kiss of love キャンペーン、デリーのジャワハルラル・ネルー大学でも


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コメント: 2
  • #1

    Y.S. (火曜日, 13 1月 2015 17:50)

    こんにちは。先日、インドNGO団体訪問の件に関しまして、お問い合わせ欄よりご連絡を差し上げた者ですが、届いていらっしゃいますでしょうか?大変お忙しいかとは思いますが、お返事いただければ幸いです。

  • #2

    管理人 (火曜日, 13 1月 2015 18:15)

    当ブログの管理人です。せっかくお問い合わせいただいたそうですが、こちらのほうにメッセージが届いておりません。システムの不具合かもしれません。大変申し訳ございません。

    恐れ入りますが再度送信いただけますでしょうか?メールアドレスを必ず入力いただきますようお願い申し上げます。メッセージ及びメールアドレスは当方にメールで送信され、ホームページ上には表示されません。よろしくお願いします。