2011年

6月

20日

ガンジーの思想と小さな村の王国

 

→ジャンブマダイでは少女が父親ほど都市の離れた男と結婚する

タミルナードゥ州の小さな村での少女婚の様子が紹介されている。この村では伝統的に少女が14~15歳で結婚するという。この少女はクラスⅩで勉強する少女なのだという。インドではまだ幼女婚や少女婚が地域によって残っている。彼女たちは自分の意志ではなく、家族やこの村のコミュニティの決めたことに従うことが掟となっている。「両親を喜ばせるためには何でもするわ」と少女は語る。結婚とはそういうもの、それ以外の結婚のカタチなんて知らなければそのように受け止めるのは当然なのだろう。面白いのはこの風習を守る村の周りの環境だ。最近ではこの少女婚をやめさせようと説得する風潮が強いのだという。さすがにこの年齢での結婚はインドでも法律には反している。しかし他者が説得を試みれば試みるほど、彼らは態度を硬化させる。だから結婚式シーズンの間は村の入り口に寝ずの番で見張りを立て、村に入ってくるものをチェックするという。彼らの結婚の風習に批判的なものの出入りを禁じるのだそうだ。

「インドの魂は農村にある」とかつてガンジーは言った。イギリスに対して非暴力闘争を主導し、インドを独立へと導いて、国全体がナショナリズムの昂揚感に浸る中で、ガンジーだけは全く別のことを考えていたという。国の発展を考える者はみな、強いリーダーシップを戴く中央集権による効果的な国家運営に傾きがちだ。しかし彼は真逆のことを考えていた。「国」の機能を極力最低限にして、このインドを「村」による自治を中心にして、ゆるやかな連帯によって結ばれる国家観=「パンチャヤト・ラージ」(パンチャヤトの王国)という概念を持っていた。余りにも先進的すぎて当時のインドには受け入れられず、だるいことを言う奴だ、と次第にガンジーは疎まれるようになり、最期は急進的なヒンドゥ至上主義の右翼の青年によって暗殺された。

ガンジーは精神文化を含めた「インド的なもの」に対して絶対的な信頼と価値を置いていた。それはこういった少女婚、幼女婚のような風習から、カースト(差別を含まない)さえ、暗に容認していたのではないかと思えて仕方がない節もある。現代の発想ではこういった女の子の人間開発を阻むような婚姻のあり方は、もはやインドの常識でさえとても受け容れられなくなってきている。しかし彼のような欧米で十分に学んだ人間が、母国に帰って自国の文化の価値を再発見したとはいえ、ここまで自国の文化を全肯定するまでに至る思索のプロセスが、自分には理解できないでいる。

ガンジーの「パンチャヤト・ラージ」は民主主義の究極のカタチだと思う。インドでは独立後に州へ大幅な権限移譲をして、各地域の実情に合わせた政治体制を作り上げ、そして年数を経て「パンチャヤト・ラージ」は法案化され、村の自治体制がより強化された。独立後に黙殺されたガンジーの思想は今少しずつであるがインドで理解され始め、復権してきている。そして先に挙げたような、インド中に無数にある小さな村の王国が「ガラパゴス化」を強めることに一役買っている。

インドの社会の発展にとって、このガンジーの思想はいつも重しになり、一方で中央集権化という方向に傾く国を反対方向に引っ張る「脱中心」又は「遠心」のための強い力を発揮する装置として機能し続けるに違いない。いや、それはきっとインドだけにとどまらない。発展と民主主義は実は矛盾をはらんだもの、という根源的なテーゼを人類に提示し続けているのかもしれない。