3/5 ●コルカタ到着

昨夜10時半に乗ったバスが朝4時半にコルカタ到着。まだ真っ暗だ。ハウラー橋を渡ったところでバスが停まって降ろされる。乗っていた他の客は、四方八方に霧消し、1人取り残された。街は何一つ寝静まったままだ。仕方ないので徒歩でホテルのあるところまで向かう。カバンを開けて、デリーで買った「地球の歩き方」を初めて取り出す。地図が載っている。やっぱり買ってて良かった。ハウラー橋の方角を考慮して、地図で大雑把な方角だけ決めて歩きだす。大都会は日々変化してるだろうから、昔の記憶など頼りにならない。

 

時間的に歩いている人すら見つからず、チャイ屋もない。こんな大都会を、車すら通らない時間帯に1人でとぼとぼ歩いているなんて、何か不思議な気分だ。

 

やがて少し込み入った地域に入ると歩道にずらっと人が寝ている。コルカタは昔もこういう街だったなあと思いだす。これだけたくさん寝ていると、もう、家がなくて仕方なしに寝ているんじゃなくて、こういう生活文化なのかと思えてくるほど、みな堂々と寝ている。男も女も赤ん坊も。地方から出てきた人もいれば、バングラデシュから不法入国してきた人もいるかもしれない。

歩道にテントを張って生活する人々
歩道にテントを張って生活する人々

宿を見つけ、荷物を置いて街に出るころにはすっかり日が上がっていた。英国植民地時代の建物を多く残したこの街は、英国風の粋が人々の中に染みついているらしい。チャイ屋のおやじがチャールズ・ブロンソン風で妙に渋かったりする。何か朝食を食べようと露店に立ち寄ってみると、厚切りの食パンをカットして炭の入った炉に網を乗せて焼き、そこにマーガリンを塗ってくれる。それにゆで卵とバナナ1本とネスカフェ、こんなメニューがインドの道端で食べられるなんて、とちょっと感激する。それからは堰を切ったように食欲が全開になり、その辺のものを手当たり次第に買って食べ、飲みを繰り返しながら歩いた。さとうきびジュースやレモンを絞ったニーンブーパーニーは何杯飲んだか覚えていない。春巻き、モモ、ケンタッキー、ドミノピザも食べた。6Rs-のソフトクリームも3回食べた。

午後からニューマーケット周辺のショッピングモールや映画館などの人出がどっと増える。この辺りにくりだす人は裕福な人が多いのかもしれないが、大学生風の姿もよく見かける。手をつないだり腕を組んだりしてデートを楽しんでいるカップルも目立つ。ニューデリーの南部で見かけた風景と同じだ。コルカタは昔から政治的には共産党の力が強く、反権力の気骨にあふれる地域柄だと言われている。また詩聖タゴールを輩出したようにアカデミズムにも富み、大学が多く、大学生が多い。一方で労働組合の力が強すぎて、大企業はこのコルカタを含めた西ベンガル州には進出したがらないとも言われている。政治的な話は横においても、ソフトドリンクなどを出すスタンドで、制服姿の女子学生が椅子に座って英字新聞を広げている姿に、このコルカタの先進性をとても強く感じる。

街を歩いていて食堂の看板を見ると、「No Beef」という文字をたびたび見かける。「うちでは牛肉を扱っていません」というヒンドゥー教徒向けのPRだ。逆にいえばムスリムの多い西ベンガルの、とくにこの辺りでは牛肉を出す店が多いらしい。いずれこれも食べてみなければ、というより牛肉を扱っているところを見るのも、今回のインドでの目標の一つだったなあ、と今更ながら思い出した。

インドが日本よりも多くの牛肉を生産し、国内消費しているという統計を見てから、牛肉が生産・消費される現場を実際にこの目で見てみたいという気持ちに自分は強く囚われていた。もちろん非ヒンドゥ人口が国全体の2割を占めているので、2億人以上の「牛肉を食べてもよい」人たちがインドには存在する。しかし昔、南インドを旅行した際に食堂のメニューで時々見かけたことはあるが、それほどポピュラーだとは思えなかった。街を歩けば焼肉屋の看板が至る所に見られる日本とはずいぶん状況が違う。いったいインドのどこで誰が牛肉をそんなに食べているのだろう。

主要畜産国の需給

ニューマーケットの横を歩いていると、客引きが声をかけてくる。昔から彼らについていけば必ず相場の何倍もの値段で買わされるという詐欺師たちだ。紅茶が云々、スパイスがどうとか云っているのをさえぎって、「ところであんたはムスリム?」と尋ねてみる。相手は虚を突かれたように一瞬言葉を失ったが、続いて「そうだ、俺はムスリムだ」と答える。「ニューマーケットの中に牛肉売ってるかな?それと牛肉食べれる食堂知ってる?」と聞くと親切にも詳しく教えてくれた。市場の中に、鶏肉だけを扱っているエリアに隣接して牛肉だけを扱っているエリアがあり、大きな肉塊がぶら下がっている。昼下がりの、商売としては今日はそろそろ店じまいのような雰囲気が漂っている。「何Kg欲しいんだ?1kg当たり80Rsだ」としきりに声をかけてくる。みなムスリムなんだろう、トーピーという独特の白い帽子をかぶっているものもいる。

 

続いて客引きに教えられた食堂に行ってみる。入り口にはカバブのように串焼きを焼いている。中に入ってみると肉の塊の入った鍋がいくつも並んでいる。みんな牛肉だという。これは脳味噌だ、これは腸だ、と給仕の男の1人にさんざん説明してもらったが、お腹が全く減ってないことに気が付いた。さっきケンタッキーに行ったからなーと思いながら店を出ていくと、給仕の男がブツブツ言っていた。

ニューマーケットの牛肉売り場
ニューマーケットの牛肉売り場

夜、コルカタの街を歩いていると、歩道でレンガのようなものを組んで火をおこし、鍋で煮炊きしている女がいた。一瞬歩を止めると「ハロー」と声をかけてくる。大きな鍋だったが、商売をしているような雰囲気ではなかった。鍋を指して、「それ、自分で食べるの?」と聞くと、うなずく。近くの別の女が寄って来て「I give you this.」と言ってなんだか分からない玉子大の果物の実を2つくれた。とまどいながら一応受け取って食べてみる。野性的で控えめな甘さだ。ずっと手に持ってたらしく生温かい。しかも少し時間がたっているせいか皮が軟らかくなっている。通常、インドで仮に何か路上で物を売って商売をしているような女性でも、こんなに馴れ馴れしい人はいない。ましてやモノをくれたりすることはまずない。よく見ると、その辺りにブランケットが敷いてあり女ばかり7,8人いる。「なぜここは女の人しかいないの?」と英語で尋ねると、意味が通じないのか誰も答えない。

路上生活とは言っても、必ずしものんびりしたものではないと聞いたことがある。寝る場所ひとつで争いがおきたりするらしい。女だけだと何か嫌がらせを受けたり、他所から来た力の強い男たちに追い出されて場所を奪われることもあるだろう。何か裏がありそうだな、と壁を見ると壁際に布の端切れをつぎはぎしたようなものが何枚も引っ掛かってる。別の女が「ブランケットを作って売ってるんだ」という。話を聞くきっかけに何か買ってあげようかと見てみるが、とても使えるような代物ではなかった。もうすぐインドを出るというのに処分に困りそうだ。こんなのが飯のタネになっているとは到底思えない。

いつのまにか5,6人の女が自分の周りを取り囲んで、何かベンガル語で話しかけてくる。薄笑いを浮かべている女もいる。なんとなく妙な雰囲気を感じて退散することにした。また夜の街を歩きだす。女たちはまだこちらに向かって何か言っている。

路上生活を送る労働者たちはたくさんいる。そしてそういった労働者を相手にする売春婦たちもいて、同じように路上生活をしているという。女だけでグループを作って生活し、いざ他のグループと何か揉めごとがあった場合はマフィアのような連中が後ろ盾につくという。もちろん、マフィアもただで女を守っているわけではない。用心棒代を含めて持ちつ持たれつの関係があるという。あの女たちもそういう類だろうかと歩きながら考えていた。

夜も少し更け掛けたころ、少年が1人歩いているのを見つけた。10歳くらいの丸刈りの少年だ。手に廃物を拾うためのズタ袋を持っている。ガチャガチャ音を立てているのはガラス瓶でも入っているらしい。やっぱりこの街は夜も面白い。その少年の後をついて回ることにした。話をするわけでもなく、その少年がどこで何を拾うのか見ながら数メートルあとをついていく。ペットボトルや、厚めのプラスチックを拾って歩いている。誰かの捨てたプラスチックバッグの中にキャラクターの描かれたカードのようなものが何十枚と入っていて、1枚ずつ熱心に眺めていたが、やがてまとめて袋に放り込んだ。少年はしばらくすると自分が後をついて歩くのに気が付いたが、特に気にする様子もない。取られるものも失うものもないのだから、怖がることもないのだろう。ちょっと二人の間が空くと、もう付いて来ないのかとでも言うように後ろを振り返る。

そうこうしながら40分ほど歩き、やがて少年が戻っていったのはなんとあの、先ほどの女たちのところだった。その中の一人が少年の母親らしい。こちらを見て母親に何か話している。歩道でブランケットをかぶっていた周りの女たちが自分の姿を見て一斉に起き出す。薄笑いを浮かべて「やっぱり来たか」という表情で、寄ってくる。言い訳の効かない状況だ。そもそも言い訳できる言葉を持っていない。ベンガル語で「どうしたいんだ?」「何が欲しいんだ?」と言っているように聞こえる。「いやいやそういうつもりじゃないんだ」と思いながら苦笑いを浮かべ、後ずさりし、あわてて来た道を引き返した。

夜も更けてきたが、まだ宿に帰る気がしない。時々自分でも気がおかしくなったのかと思うほどあちこち歩きたくなることがある。とにかく歩いて何気ない街の様子を見るのが楽しくて仕方ない。昼も夜も関係ない。デリーに滞在しているときもこんなだったなあ、と思いだしながら、同じ通りを何度も歩いたり、道に迷ったりを繰り返しながら、この晩宿に帰ったのは12時近かった。