2011年

8月

23日

インド初の同性結婚

最近、欧米諸国を中心に同性結婚が法律で認められつつあるが、インドでは日本同様認められていない。そんななか、先日グルガオンの裁判所で、初めて女性同士の結婚が実質的に容認されたと話題になっている。

→グルガオンの裁判所、初の同性結婚容認

→女性の同性愛夫婦、警察の護衛で入廷

このカップル、BeenaとSavitaはウッタル・プラデシュ州のBagpat郡、Khekadaという村の出身の幼馴染で、Beenaは幼いころからなぜか男の子のように育てられ、本人もオートバイを乗り回すなど男の子のように振舞ってきたという。日本ようなユニセックスの概念がないインドでは、男の子と女の子をあいまいにして育てることはないので、この時点で少し特殊な環境のように思われる。あるいは性同一性障害という可能性もある。一方Savitaの方はBeenaと違って大学まで進学し、最終学年で最近まで私立学校の教師も務めていたという。Beenaはスポーツタイプのオートバイを乗り回し、たびたびSavitaを学校まで送っていたそうだが、2人が恋人の関係に発展したのは昨年6月頃という。しかしSavitaは親の取り決めで昨年12月に他の男性(警察官)と結婚させられてしまった。しかし半年で嫁ぎ先から逃げ出し、その後村の長老会議(カップ・パンチャヤット)で離婚が認められたらしい(この辺りの詳しい経緯は不明)。そして晴れて?7月22日に二人はグルガオンに出て公証人を立てて結婚宣誓書なるものにサインをして結婚を宣言したという。しかし彼女たちの両親、特にSavita側の両親はそれを認めず、むしろ「どうなるか今に見ておけ」と脅し始めたので、村を逃げ出してハリヤナ州の知人宅に身を潜め、結婚の正当性の確認と彼らの親族に対し、嫌がらせや脅迫を直ちに止めるよう求めて裁判所に提訴したというわけだ。「2人とも女性なので、宗教婚ではなく、法律婚に必要な書類を全て揃え、必要な手続きを全て終えて結婚した」と2人の代理弁護人は話した。

一方、Savitaの両親は2人が勝手に再婚の手続きを行ったために、自分の娘がBeenaにそそのかされたとして警察に被害届を出したという。

グルガオンの裁判所がこの2人の訴えを却下することなく、護衛を付けて審理に入ったことで、2人の関係を正式に認めたものとして衝撃をもって受け止められている。その背景として、一つは2年前のパンジャブ・ハリヤナ高等裁判所が他の裁判所に送った通達があるという。それは親や村の長老会議(カップ・パンチャヤット)の反対にそむいて駆け落ちし、名誉殺人の危険に追われるカップルに支援の手を差し伸べるよう各裁判所に求めたものだ。そしてもう一つは同じ年にデリー高等裁判所で出された刑法377条の新解釈だ。インドの刑法(Indian Penal code)を参照すると、377条にこんな条文がある。

Whoever voluntarily has carnal intercourse against the order of nature with any man, woman or animal, shall be punished with [imprisonment for life], or with imprisonment of either description for term which may extend to ten years, and shall also be liable to fine.

法律の条文なので言い回しが独特だが、「自然の摂理に反して男女又は動物と自発的に肉体関係をもった者に終身刑あるいは10年以下の懲役、それに見合った罰金を科す」というような意味だろう。これは恐らく同性愛や獣姦、あるいは乱交など、「従来の自然と思われる男女の関係」にそぐわない行為に耽った者を念頭に罰則が定められたようだ。2009年のデリー高裁ではこの条文について18歳以上の男女について互いの同意があれば同性愛をこの条文の範疇に含まれないという新しい解釈が為されたらしい。

こういった昨今の他の裁判所の見解を拠り所として、今のところ同性愛者の結婚を規定する法律がないにも関わらず、グルガオン裁判所はこの同性同士のカップルの結婚をあえて認める方向に傾いたようだ。インドの司法というのは、時々こういった欧米に決して引けを取らないようなすぐれた人権感覚を発揮し、先進的な判断を下すことが少なくない。しかし欧米諸国と違ってインドが特殊なのは、こういった司法に携わる人間と一般庶民の感覚は天と地ほどに乖離している点だ。日本で最近、「司法の場に市民感覚を取り入れる」として裁判員制度が導入されたが、インドでは難しいかもしれない。村の長老会議(カップ・パンチャヤット)レベルではおよそ前近代的ともいえる感覚で物事が決定されている。

欧米でも同性愛の結婚に反対する人は、主にキリスト教など宗教的な立場から反対する人が多いようだが、インドでもヒンドゥやムスリムの伝統的な慣習を理由に反対する人は多い。そもそも同性愛以前に、親同士が話し合って子供の結婚を取りきめる習わしが大勢を占めるインドで、本人同士の自由意思で結婚すること自体が親や所属するカースト集団に対する大きな挑戦だ。結婚の儀式もそれぞれのコミュニティで作法が決まっており、その儀式に携わる人々の役割や報酬のような利害を含めて様々なものをぶち壊すことから、「家族やコミュニティの体面を汚した」として名誉殺人の対象になることが多い。つまりインドで同性愛による結婚を宣言するのは、自らが拠り所とするコミュニティに対して二重の罪を犯すことになるのだ。

恐らくBagpatのカップ・パンチャヤットもSavitaとBeenaの関係を知らずに、Savitaと前夫との離婚を認めたのだろう。2人が同性愛者で結婚さえ考えていたと知れば、離婚を認めなかったはずだ。カップ・パンチャヤットも体面を汚されたことになる。そしてこのカップルは親たちから絶縁を宣告されるだけでなく、脅しを受けて村から逃亡した。そんな2人に裁判所は裁判期間中の身の安全を守るために警察に銃付きの護衛を要請したが、2人はその護衛すら信用できなかったようで、護衛が到着する前に2人だけで行方を眩ませて、再度審理の日に姿を現すなど、警戒心は相当なものだった。なぜならインドの名誉殺人は多くの場合、確信犯だからだ。たとえ衆人環視の中であろうが、警察が銃を持って護衛していようが、家族やコミュニティの名誉を守るために、彼らの意に背いた男女関係や結婚に走るものに対しては容赦がない。

しかしこの裁判の行方はというと、先日意外な着地を見た。親たちとの間で和解が成立し、審理は打ち切られた。家族の方が折れて2人の結婚を受け入れることにしたという。このカップルにとっても、家族や自らの育ったコミュニティを離れて生きていくことは難しいと分かっていたのだろう。生まれ育った村に戻り、新婦に当たるBeenaの家で暮らすことになったという。インドの社会は基本的に日本と違う。お金さえあれば知らない土地でアパートを借りてアルバイトであろうがなんとか生計を立てて生きていける日本と異なり、インド人は家族や親族、そして所属するコミュニティ(カースト集団)の中で生きている。その中で日々、又は季節ごとに行われる儀式を通じて生活のあらゆることが進み、彼らの人生にも意味を与えてくれるのだ。ヒンドゥの儀式を執り行う者も決まっていて、自分たちで勝手にはできない。たまに駆け落ちしたカップルが、ひどい目に遭うと知りながらも何年かして地元に戻るのはそのためだ。

→同性夫婦の親たち、娘たちの関係を受け入れた

→「もう、反対はしない」同性夫婦の親

このカップルの場合も、果たしてこのまますんなりと地域社会に受け入れられるかは不透明だ。裁判では家族やコミュニティから譲歩を引き出したものの、コミュニティの伝統、慣習から言えば決して素直に受け入れられることではない。これからもこのカップルは様々な軋轢を経験することになるだろう。しかし裁判所によって同性結婚が排除されたり門前払いされずに審議が為されて、実質的な結婚の一つのカタチとして容認されたことの意味はインド社会にとってとても大きいと思う。そして前途は多難だと想像できるも、こういったカップルが駆け落ちのように地域社会と切り離されて生きていくのではなく、伝統を重んじる地域社会の中に戻って生きていくことに落ち着いたことにも、とても意味があるのだと思う。