2013年

3月

24日

インド経営大学校を出てカーストの社会へ

 

以前から、インドの産業構造には問題があるのでは?と思っている。インドは農業や漁業などの第一次産業に従事する人が大変多い(全労働人口の5割以上を占める)農業国であり、これらの人々がインドの高い食料自給率を支えている。それなのにGDPに占める第1次産業の割合は2割程度と小さく、貧困層の多くがこの分野に集中している。国の近代化に伴い、普通であれば製造業などの第2次産業が勃興するはずなのに、インドでは驚くほど脆弱なままだ。これはかつて政府が製造業の分野で積極的に国営企業を興し、肥大化してしまった割に驚くほど非効率な経営体質で赤字を垂れ流し続け、一方で民間の活力が入り込む余地をあまり与えなかったことも大きく影響しているのだと考えている。代わって第3次産業に位置するIT産業やオフショアビジネスなどが花形産業だ。

インドの学生の多くが工学やコンピューターなどの技術系学部を目指すのは、まさにこうした花形産業への憧れがある。彼らはインドで急成長したオフショアビジネスや外資系のIT企業で職を確保し、あわよくばアメリカに仕事と生活の拠点を移すなどして華やかなキャリアアップに夢を膨らませる。しかし一方で、こうした、まるで一方通行的な学生たちの技術系キャリア志向には、負の影響もあるのではないか。インドにこれまでになかった産業を広げる分には大きな貢献を果たしてきたことには間違いないが、旧来からある産業の近代化にはあまり貢献していないと思うからだ。

インドの農村を訪れた経験はわずかなもので、こういうことを指摘するのは少し分が過ぎていて気恥ずかしいが、痛感したことは、そこはジャーティを主体とする各コミュニティの結束がきっちりと息づいているということだ。それらは他所者を受け入れない閉鎖性や社会の硬直性も兼ね備えているように感じた。都市のようにいろんな人間が流入して来て、何だかわからなくなっているの社会に比べて、農村は極端に言えば、互いに顔を見れば大体どこの誰だか素姓が分かり、序列も分かる。畑の一本道で人と人がすれ違っても、互いに挨拶の仕方や振舞い方が分かっている。人間が「個人」として生きていく場所ではなく、コミュニティの中でそれぞれ役割や位置づけを与えられながら生きている。こういう社会では、例えば都会からぽっと他所者が入ってきて住み着くような、そんな余地はないのだ。

なぜこういう話をしたかというと、高等教育がようやく充実してきたインドで、大学や大学院まで進学する大学生は農業には目を向けない。それはこうした高等教育にまで進学を果たす多くの大学生が農村とは縁のない都市部出身であり、彼らが将来、農村に自らの居場所を見つけることはとても困難だからだ。今では農村でもわずかながら大学進学を果たすものも出てきているが、彼らとてせっかく大学まで出て、実家の農業を継ごうという発想はおおよそ持たない。家族も都会でたくさん稼いでくれる仕事に就くよう子供に求める。もちろん都市出身の学生にとって農業は、低カーストに属する人やダリットが従事する仕事であり、大した収入が見込めない貧者の仕事であり、異次元の世界の仕事である。そしてそういうカースト制度が持つ社会の硬直性、人の流れの悪さが災いして、インドでは農業技術の発展と普及が進んでいないのではないかと思う。

そうした中、とても新しい動きがJagran Postで紹介されている。インドの経営学の最高峰、IIM(インド経営大学校)の卒業生が野菜売りに転じたというのだ。残念ながらビジネスの手法は詳しく紹介されていないが、彼は6千件の生産者と契約を結び、消費者へ直接野菜を届ける大規模な流通ネットワークを構築し、新鮮な野菜を効率よく販売する仕組みを作ることに成功し、、数千万ルピーの売り上げを誇る起業家となった。「若者が抱きがちな農業のマイナスイメージを払拭したい」と語っている。また別の一人は野菜のネット販売サービスを立ち上げる予定だ。中間流通をなるべく省くことで生産者、消費者双方に利益が生まれるのではないかと明かす。彼らの試みはいずれもIIM卒業者による、なんともbizzare=「破天荒な」試みだと評されている。

→2人のIIM卒業者、新鮮な野菜売りへ転身

もう一つ、オートリクシャの世界に飛び込んだIIM卒業者の話を見つけた。IIM アーメダバード校のある学生は、在学中に毎度オートリクシャーの運転手と面倒な料金を交渉をしたり、しばしばぼったくられたり、降車時に料金面でもめたりすることに嫌気がさしていた。

→IIMを卒業してオートリクシャー業界に乗り出した若者

ある時彼は思いつき、ドライバーに新聞と個人の健康保険の掛け金を負担してあげることを提案した。その代り、彼がオートリクシャーに乗る際には規定で決められた料金だけを支払うと約束を取り付けた。インドでは各州や大都市毎にタクシーやリクシャーの料金には初乗り料金、その後の距離に応じて加算料金が決められれているが、実際には守られずにドライバーと交渉して決めるのが当たり前のようになっている。インフレや燃料の高騰、その他生活の不安がドライバーたちに料金規定の遵守する気を失わせていたのだ。

その時彼がドライバーたちと交わした契約が彼にとって本当に有利だったのかどうかは分からない。しかし彼はそこで閃いたアイディアを元に、卒業と同時にオートリクシャのための厚生基金を設立し、州政府や企業から出資を募った。車体への広告なども企業にセールスし、基金に一定の収入を集め、オートリクシャーのドライバーたちのための健康管理や子供への教育などに利用できるようにした。その代り彼の設立したG-AUTOブランドに参加するオートリクシャーは規定通りの料金で運行し、乗車時や降車時に起きるトラブルを減らすとともに、オートリクシャーに対する信頼を高めて利用客の増加に貢献する結果となった。今では日本のタクシー業界でも見られるように車体へGPSを設置し、コールセンター開設して顧客から電話を受けて配車するシステムを整えるなど、これまでのインドのオートリクシャーでは考えられなかった先端的なビジネスへと進化させつつある。その試みは海外からも評価されているのだそうだ。

インドのリクシャーやタクシー業界も、カースト色の強いコミュニティだ。こうした商売は免許制となっており、免許や車体が親から子へと受け継がれる、一種の世襲制を帯びて継承され、それがコミュニティを形成していく。「リクシャーワーラー」というカーストがあるわけではないが、それぞれの地域でいくつかのジャーティコミュニティーが既得権益のようにその職を独占しており、彼らと地縁や血縁が全くない他所者が参入しようとすれば猛烈な妨害に遭うような、そういう業界であることは間違いない。

彼のような他所者が乗客として利用することはあっても、そのビジネスの中に入り込むのは到底考えられないことだった。恐らくこれまでも、そして現在もいろんな軋轢があるに違いない。しかしこうした高等教育を受けた新しい感覚の若者が、本来は場違いだったはずのカースト色やコミュニティの力が支配する旧態依然とした社会に軽やかに踏み込んで、彼らの抱える生活不安や問題に共感し、把握して、新しい発想でビジネスを変えていく。それは同時に、カーストごとに分化し、硬化した社会を変えていくに違いない。こうしたところにインド社会に新しい芽が吹きつつあることを感じるのだ。