インドの人たちは先進国の人たちをどう見ているか



1ヶ月ほど前に見つけたUnravelというショートフィルムにはまっていて、ほぼ毎日見ている。1日に2~3回見ることもある。

 

→ 全編フィルムはこち

 

 

↓はtrailer(予告編)

 

それは欧米、日本などの先進国で不要になった衣類が、船ではるばるインドまで運ばれ、工場でブランケットにリサイクルされるまでの様子を描いたものだ。その工場で長年作業にあたっている、ある女性労働者を通して、彼女なりに抱く欧米諸国への思いやイマジネーションを、ロングインタビューの手法で引き出している。


工場で働く女性たちの、飾り気や屈託のない日常の姿を活き活きと映し出したこのフィルムはいくつかの賞を取ったそうだ。何度見ても飽きず、見るたびにインド女性たちの素の姿に自然と笑みがこぼれたり、時に涙がじわっと涌いてくる。こうした女性労働者たちから、これほど素直な言葉を引き出したインタビュワーは一体どんな人なんだろう、と逆に思いを馳せてしまうほどだ。




 

欧米諸国から船積みされた衣類は、インド西部、Kuchiの港にコンテナごと陸揚げされ、税関通過とともに近くの工場で荷を解かれる。山のように積まれた衣類はまずグラインダーで少しずつ切り込みを入れられる。その後再びトラックに山のように積まれてハリヤナ州に送られ、細かくちぎられて糸に戻され、ブランケットの材料にされる。わざと切れ込みを入れるのは、洋服の完成品としての価値を下げて途中で盗まれないようにするためなのだそうだ。


一体なぜこんな、インドでは見たこともないような目も眩むような洋服がごみのように送られてきて切り刻まれてしまうのか、ここで働く労働者たちはみな不思議がるのだそうだ。彼女たちからすれば、着古された様子のない、ほとんど新品同様の洋服を捨ててしまう欧米人が信じられないらしい。


「きっと欧米では、水不足で水道代がものすごく高いんじゃないかな。洗濯するより買ったほうが安いから、どんどん捨てるのよ」

 

「みんな洗濯するのが嫌いなんじゃない?だから2,3回着たら捨ててしまうのよ」


働いている女の子が衣類の山の中から白いドレスを取り上げて、試しに着てみて「どう?」と首をかしげて問いかけるシーンは、とてもほほえましい。


レシュマはこれらの洋服が処理されるハリヤナ州パニパットの工場で働き始めて15年ほどになる主婦だ。3人の子宝に恵まれている彼女は、欧米から山のように送られてくる様々な洋服を色別に仕分ける作業をしている。


仕事で扱うさまざまな洋服を通して語る彼女の欧米人への印象は、インド人の間に偏在するとてもオーソドックスな考え方を映し出しているように思える。送られてくる洋服を手に取りながら、彼女は素朴に欧米人への憧れを語りはじめる。

 

「外国ってどんなかなっていつも思う。アメリカ人やヨーロッパの人たちを一度この目で見てみたいわ。みんな綺麗でしょ、憧れるわ。」

 

「でも見て、こんなの着るなんて。ディスカバリーチャンネルでしか見たことないわ」と女性用の水着を手にとって恥ずかしげにつぶやく。

 

「時々笑ってしまうわ。だって人が4人くらい入るような大きなズボンがあったりするんだから。一体何を食べたらこんなに太るの?って」と笑いを隠せない。

 

「見て、このワンピース。恥ずかしくて私は着れないわね。きっとこういうのは、キチンと教育を受けた上流階級の人たちが着るんでしょうね。欧米の人たちを尊敬しているわ。だって神さまはあの人たちに豊かな暮らしを授けたのだから。」

 

「欧米の人たちみたいな暮らしってどんなだろうってよく考えるのよ。でも私は1日中あの服たちを仕分ける仕事をして毎日暮らしている。」と、先進国の豊かな生活に自分の生活を重ねて笑う。

 

「イギリス、アメリカ、日本みたいな国ではきっとたくさん洋服を買うんでしょうね。向こうではみんな何不自由なく生活をすることができる。誰にも、何にも縛られることなく、色んなことを自分たちで選択して生きているんだと思う。きっとこんな服もすごく高いんでしょうね。みんなすごくお金持ちで、お金に困ることなんてない。こんな素敵な服を買って着飾って、それをここにタダで送ってくるんだと思う。」

 

日本の名前が出てきたところでドキッとする。こんな風に思われているのかと。


かつてトラックの運転手としてインド各地を走り回っていたというレシュマの夫。決して経済的に恵まれているとはいえないだろうが、自分たちのつましい生活をことさら言い訳がましく弁護するでもなく、静かに語る彼の言葉は、先進国に生きる人間にとって何気に印象的で、意味を問いかけるように心に沁み入ってくる。


 

「人はみな、なるべく他人によく見られたくて着飾るけど、1日の終わりにはみんな素の姿に戻るんだ。神がくれた最も美しい姿に。人は誰しも、生まれたままの美しさを備えていると思う。」

 

「神は必要十分なだけ私たちに与えてくださった。『お前たちはこれで十分だ、神のもとにたどり着くまでこれで満足しなさい。そして祈り続けなさい、そうすればいつかたどり着ける』と。」

 

そう語る夫の横で、妻は微笑む。しかしその目は、なんとなくいくつかの思いが交錯しているようにも見える。


ヒンドゥでは今生は全て前世の行いの結果であり、今生の振る舞いや態度が来世に影響すると考える。永遠のサイクルの中に自分の人生を位置づける考え方は、インド人の人生に対する態度に、ある種の諦観をもたらしているといわれる。人生の良し悪しは前世から決まっているんだから仕方がない、と。


今では多くのインド人が、留学や仕事、親族の訪問という形で海を渡っている。イギリスはもとより、カナダやアメリカ、オーストラリアやニュージーランドなどではインド系移民が席巻しているという。インドではNRI(Non Resident Indian)という言葉が生まれて久しい。先進国の生活を知るインド人が増えていることは間違いない事実だ。


しかし大多数のインド人は、こうした先進国とは無縁の生活を送っている。人知を超えたものの存在を認め、豊かな国に生まれてさまざまなものから解放され、自由に生きる者たちの生と、貧しさとさまざまな困難の中に生きる自らの生を、そうした神による抗いがたい宿命論の中に位置づけて生きている。


パニパットの工場で洋服は切り裂かれ、一度糸に戻され、ブランケットに生まれ変わる。ブランケットは海外輸出のために再び海を渡る。

 

「ブランケットと一緒に私も外国に行ってみたい。向こうの女性たちのように、こういう洋服を一度着てみたいわ」とレシュマ。「まずはともかく飛行機に乗ってアメリカに行ってみたい。この洋服をみんなどうやって着ているのか、みんなどんなふうに生活しているのか見てみたい。もし神の思し召しがあれば、きっとこの子が連れて行ってくれるわ」とレシュマは腕に抱いた小さな息子に目を落とす。自分の世代では無理そうだ、でも次の世代に夢を託そう、ということなのだろう。


Unravel(解きほぐす)、とはどういう意味だろうか。プロデューサーのMeghna Gupta女史はこのタイトルにどういう思いを込めたのだろう、と思う。



 

バックの音楽が良い。インドの田舎の道をリクシャでコトコト走っているような軽快さとのどかさを思い起こさせるオリジナルサウンドだ。この曲を聴きたくて、このフィルムを見てしまうのかもしれない。途中で挿入される女性歌手の歌「Aji ki raat piya til todo」は、なんと1951年に製作されたインド映画の中で使われた曲なのだそう。