2/15 ●クシナガラに到着

涅槃堂
涅槃堂

午前中、バスでクシナガラへ移動。田舎をバスで走りながら、ああU.P州の田舎に来たんだなあ、と実感する。貧しく、いろんな意味で古い因習をよく残していると言われる地域だ。藁葺きの家に住んでいる人がいる。狭い敷地の中で牛や水牛とともに寝起きしている。燃料用に牛糞とわらをこねて直方体に成型し、乾かしたものを井げた状に積み上げている。ゴラクプルの駅前の露店でこれを使って火を起こし、小麦粉を丸くこねたようなものを燻すように焼いていたが、こういうところで作られていたのかと気がつく。道の端を制服姿の女子学生が自転車を連ねてすいすいと気持ちよさそうに走っていた。

 

クシナガラには、この地で教育支援活動を行っているNGO、インドマイトリの会の活動を見学させてもらうために訪れた。

→インドマイトリの会のサイト


クシナガラは、ふわふわとして、ちょっとつかみどころに困るような不思議な感じの村だった。バスを降りると、そもそもこの辺りには少し不釣合いなほど幅の広い道路の拡張工事が行われている。片側3車線、両側計6車線、その上側道まである。日本製の大きな重機が土を掘り返していた。この片田舎で一体どんなビッグプロジェクトが進行しているのだろう。

                  →Spin Off  開発が進むクシナガラ

村の入り口を示す大きなゲートをくぐり、500mほど歩けば涅槃仏の納められている涅槃堂とストゥーパのある大涅槃寺にたどり着く。大涅槃寺は広大な敷地の中に、かつての施設跡を示すレンガの基礎をあちこちに遺しながら広く芝生が敷かれていて、よく整備されている。道路を挟んだ向かい側に州が直営している、これもまた立派なゲストハウスがある。周辺には世界の仏教国の仏教団体がこぞってお寺を建立している。大きな観光バスがひっきりなしにやってきて、各国の巡礼客がお参りのために降りていく。インドの学校の遠足児童が一列に並んで歩いている。このようにひっきりなしに観光客が訪れるにもかかわらず、村の人はとても素朴に思えた。州政府がおそらく莫大な予算を投じて一帯を整備し、多数の巡礼客を呼び込んでいるのをよそに、村はのんびりと村の生活を送っている。逆に言えばいくつかの大手資本によるツアー客向けホテルを除くと、洗練された観光商売らしきものも特になく、村の人たちが観光面で経済的に潤っているようにはあまり思えない。涅槃寺のすぐそばには、近辺の農村にあるのと変わりない掘っ立て小屋の食堂や藁葺きの店が並んでいる。いくつかある土産物店も、あまり観光客で賑わっている雰囲気ではない。なんというか、このとても小さな地区で、観光と村の生活が遊離しているような奇妙な感覚を感じた。

違和感のもう一つの原因は、仏教に対する熱情の違いにもあると思う。それはクシナガラに限らず、インドの多くの仏蹟で感じる率直な印象だが、インドでは仏教徒が少ないせいか、これらの仏蹟が土地の人々の強い熱情に支えられているというのがあまり感じられないのだ。もちろん、外国から来た熱心な信徒にとってはここは紛れもなくニルヴァーナの土地であり、それ以上何も必要がないだろう。しかし不信心な観光客にとっては、あの仏さまが涅槃に入られた場所という大そうな事実と、ヒンドゥ教徒が多く、涅槃の意味するところを理解しているかも怪しいこの土地に住む人々のテンションの低さとのギャップに、どうしても引っかかるものを感じてしまう。

例えばヴァラナシのようなところには、インド各地からヒンドゥの巡礼者が集まるばかりでなく、その強い熱気に魅了されて、沐浴姿やプジャーの儀式を見るためにヒンドゥ教徒でない一般の外国人旅行客もたくさん観光に訪れる。それと比較すると、正直インドの他の仏蹟に漂うどことなくシラーっとした雰囲気をクシナガラも共有しているように思える。

もう一つ、この小さな村でとても意外な気がしたのは、学校の制服を着た子供がとても目に付くことだ。教科書を手に持った大学生風の青年もいて、なんとなくアカデミックな雰囲気すら漂う。後で数えたら、このゲートから大涅槃寺までの500mほどの間に5つくらい初等教育を受け持つ学校がある。ゲートのすぐ脇にはカレッジもある。ほとんどプライベートスクールで、ベトナム資本のお寺とミャンマー資本のお寺はそれぞれ敷地内で無料の学校を運営している。州立の学校もとても大きく、児童数が多い。もちろん無料だ。