2012/3/6 ●アヨーディヤまで移動する


 

昨日あたりから、街にホーリー用の色粉を売る店が出始めていた。普通のお店でも、臨時の露店でも、さまざまな色粉や水鉄砲などが売られている。ホーリーは3/8と聞いていた。できればこの日は外を出歩かずに宿でジッとしておきたい。

帰国も近づいているのでラクノウには一泊しただけで次のアヨーディヤに向かうことにした。朝、駅に行って時刻表を見る。大したもので、慣れてきたら事前に列車のタイムテーブルも確認せずに、駅に行ってから考えるようになっていた。Faizabadという町まで行く2等切符を買い、ホームで列車を待つ。到着した列車にものすごい数の乗客が乗り込んだ。車両の奥に詰め込まれるのは嫌なので、最後に乗って入り口付近の場所を確保しようと思って悠長に構えていたら、その思惑が間違っていた。

なんと入口まで人が溢れ出していて乗れないのだ。バッグを担いでいるうえに入り口付近から人がはみ出している。それでもなんとか一番外側に掴まろうとしたが、列車から身体もバッグもはみ出ている。発車までの間しばらく身体を中にもぐりこませようとしたが、無理だった。2等の車両はどこもそんな状態だった。諦めて降りる。やがて列車が動き始めるのを呆然と見送るしかなかった。

次の列車はいつだろうかと駅舎の時刻表を見るとなんと、15:30までなかった。そうか、それでみな無理に乗りこんでいたのか、とその時になって気が付いた。

仕方がないのでバスで行くことにした。ラクノウからアヨーディヤ近くのファイザバードまではそれほど遠い距離ではなかった3,4時間あればいけるだろう。バスターミナルを探してバスに乗り込み、昼過ぎに到着した。バスターミナルを出て宿を探すがなかなかない。やっと1軒見つけて中に入ると、1Fに大広間らしきものがあってたくさんの人が熱心にテレビを見ている。何か取り込み中のようだった。テレビはU.P州の選挙結果を伝えていた。そうか、今日が発表の日だった。何か政治絡みの集会のようだ。宿泊の方はというとこういう状況なので、と丁寧に断られた。そこからほどなく2軒ほど立派なホテルがあった。ホテルの前の駐車場に車を止めている人に尋ねると宿泊費は1500Rs以上はするよ、と言われた。

意外だった。地方の小さな町に来て宿探しにこんなに苦労するなんて。ガイドブックにはアヨーディヤには宿泊できるところは少ないと書いてあったが仕方がない。道沿いで乗り合いジープを拾ってアヨーディヤに行くことにした。

30分ほどで終点らしきところに到着し、降ろされた。道沿いに数軒宿らしきものを見かけたので、歩いて戻ることにした。

アヨーディヤは小さな門前町のような雰囲気で、ヒンドゥの巡礼客が買って帰りそうな儀式に使う杯や神様のポスター、石像などを売る店が通り沿いに並んでいた。これは正直意外だった。恥ずかしながら、アヨーディヤがラーマの生誕地であり、ヒンドゥ教徒にとってはインドでも重要な聖地(7大聖地のうちの一つ)ということを自分は知らなかった。ただここにあるバブリ・モスクが、かつてラーマを祀るヒンドゥ寺院の上に建てられたことを理由に、ヒンドゥ至上主義者の扇動の下、ヒンドゥ教徒たちによる焼き打ち・破壊に遭って、それがインド全国のヒンドゥ・ムスリムの対立となって飛び火したということだけはなんとなく知っていた。北インドにはかつてムスリムが侵入し、ムスリム王朝が支配したことで破壊されたヒンドゥ・仏教寺院などは珍しくない。アヨーディヤは今ではムスリムが多く住む小さな町なんだろうな、と自分は思い込んでいたのだった。

 宿を探すのは大変だった。1軒目は結婚式があるからと断られ、バスの中で見かけたもう1軒がなかなか見つけられず、困っていたら駅前にツーリストバンガロウがあるとリクシャに教えてもらったのでそこに向かった。州政府直営のツーリストバンガロウは駅前から少し外れにある大きな施設であるにも関わらず、ひっそりとして開業しているのかも怪しかったが、中に入ると男が出迎えてくれた。どうも宿泊するのは自分1人らしい。他には宿泊客はおろか従業員の姿さえ見えない。少し不安にさえ思えたが、元は立派な施設だったようだが、管理が行き届いていないおかげで、廊下の隅に蜘蛛の巣があったりしてみすぼらしい。部屋は大きなベッドに分厚いカーテン、しかし電灯は暗かった。他に選択肢もない。

まだ日が暮れるには少し早かったが、正直ここまで辿り着くまでに歩き疲れていた。アヨーディヤはそれほど小さな町というわけではなかった。すぐに外に出てみるつもりだったが身体がなかなか動かない。しばらくぼーっとして、駅前まで行ってみた。アヨーディヤの駅は田舎の小さな駅だ。駅前といっても商店や食堂、チャイ屋がいくつか並んでいるだけに過ぎない。宗教紛争の発火点となった例のラーマの生誕地に行ってみたかったが、結局駅前をブラブラとし、冷めた硬いプーリーなどで腹を膨らませて宿に帰ってきた。