●所長さんに何を聞いたか


インドに出発する前、インドのことについて本を読んだり、新聞を読んだりして色々調べている間に、インドの教育事情についていくつか気になることが自分の頭に浮かんでいた。インドを旅行している間、たまたま学校などを見かけても中をのぞいてみる機会などなかったのだが、クシナガラを訪れて学校の中に入らせてもらう機会を得て、自分なりに興味を持って見学させてもらった。しかし、やはり言葉も分からずお客のような立場で数十分いるくらいでは分からないことの方が多い。クシナガラ滞在の最後の日に、インドマイトリの会の事務所で所長さんに申し出て、思い切って尋ねてみることにした。

 

・州立の学校について

近年、インドでは公立の学校が急速に増えている。一昨年、学校基本法(Right to education act 2009)が制定、昨年公布されて初等教育が各州で義務化されたせいだ。次々と学校ができているようで、日本の学校のように広い運動場を備えた小中学校もあれば、村の中には小さな小学校もある。どれもまだ割と新しい建物で塗りたてのペンキがきれいだった。所長さんによると、急速に施設はできても、教員の養成が追い付いていないのだという。一つの学校に校長先生1人だけが配属されていることもあるそうだ。また当面の苦肉の策として教員資格のないEducational Friendと呼ばれる補助教員が配置されていることもあるようだ。インドには公立学校、Private Schoolのほかに政府の補助が入ったアーダー・サッカリーという運営形式の学校もあると言うことだった。

 

・就学機会の男女差

インドでは一般に就学状況に男女差があると言う。そもそもこの背景にはインドでの女子の立場の低さが関係している。近年ギャップは小さくなってきているものの、依然として女子の進学率は男子に比べて低い。

 

クシナガラの学校ではどうなのか所長さんに尋ねると、最近は女の子の就学率も高いということだった。自分は平日はインドマイトリの会の方と学校訪問をしていたので、住居のある農村へは日曜日しか行けなかった。だから子供たちが学校にも行かずに遊んでいる姿などは見かけることはなかった。ブラジェーシュさんの結婚式で平日にアニルドアの村を訪れた際にはかなりの数の子供がいたが、結婚式ということで休んでいる子供、それから普段からぶらぶらしてそうな子どもも何人か見かけた。どちらかというと男の子が多かったように思う。そういう子供に「今日は学校に行かないの?」と尋ねると決まって下に目を落してうつむくことが多かった。

 

学校を訪問した際に、男女の児童の数を数えてみたことがある。マルティバンディ小学校ではわずかに女子児童の方が多かった。それから宿泊していたお寺に開設されていたリンソンスクールでは女子児童は4割ほどだった。インドは特殊な社会事情により、もともと女子の子供の数が男子の子供の数に比べて一般的に8~9%ほど少ない。恐らくクシナガラでも似たような状況なので、女子と男子が半々程度学校にいるということは、女子の割合がやや高めと言っていいかもしれない。ただし、クシナガラで人気があり、高い授業料を払わないといけないクシナガラパブリック小学校を訪れた際に、小さな校庭に生徒が朝礼でずらっと列を作っている状況に出くわしたことがあった。女子の列が3列(やや長め)なのに対し、男子は9列あった。数こそ数えなかったが、ざっと1:3くらいの割合だ。バイアスというのはこういうところに現れるのではないか。

クシナガラパブリック小学校の朝礼の様子。画面が切れているが左3列が女子、残りはすべて男子だった。
クシナガラパブリック小学校の朝礼の様子。画面が切れているが左3列が女子、残りはすべて男子だった。

・カーストのバイアスについて

学校でカーストのバイアスがどのようにかかっているのか尋ねたが、所長さんによるとクシナガラでは特別にそのような話は聞いたことがない、という答えだった。

 

インド社会はカーストが一定の影響力を持つ社会だ。学校教育の現場にもその影響が及ぶのはある意味自然というかやむを得ない。事実、インドの新聞には時々、学校の現場にもカーストが原因で何らかのトラブルが起きていることが紹介されている。

 

→給食を巡り、カースト戦争勃発

U.P州の公立の学校で実施されている給食事業で、Chamarというダリットに属するカーストが給仕した給食に触れるのをKharvarというカーストに属する子供が拒否したことから、互いの集団間に緊張が高まって給食のボイコット合戦につながったり、Valmikiというカーストに属する女性が給食を調理したとして、Dhobisが学校にバリケードを張って立てこもったりと、U.P州の学校の給食を巡って実際に起きているカースト間の争いを紹介している。調査では、給食の調理・給仕の作業からダリット(不可触民)を排除する動きが鮮明だったという。

 

→学校でトイレ掃除を命じられた少女が自殺

同じくU.P州の私立学校で、授業料を滞納している13歳の少女が教師にトイレ掃除を命じられたことに悲観し、自ら命を絶った。この少女の母親はトイレ掃除の仕事に従事し、父親は農業と日雇い労働に従事していたという。インドでは教師が児童にちょっとした小間使いをさせることはよくあるらしく、この少女も普段からごみの片付けなどを命じられていたという。しかしトイレ掃除と言うのはインドでは微妙な問題なだけに、あえてこういったことをさせるというのは、教師側に少女の母親の仕事に対する偏見・先入観があったのではないかと想起させるような事件だ。

 

自分がクシナガラの小学校を訪れたときも、授業中であるにも関わらず、教師の指示で甲斐甲斐しくチャイやお菓子を持ってきてくれる児童がよくいたが、こういったニュースを見聞きすると、教師が指名する児童に何かカーストの背景があるのだろうかと訝しく思ってしまう。

 

・体罰について

インドでは学校で教師が棒のようなものを持っていて、児童をそれで叩くというのを聞いていた。実際に自分が見た範囲だと、宿泊していた中国寺に開設されていた学校で、どういった理由によるものか分からないが、朝礼の時に教師が棒で一列に並んだ児童を叩いて回っているのを見たことがある。男子児童は太もも、女子児童には手を出させて、手を棒で叩いていたが、痛そうだった。

 

確かマルティバンディ小学校でも、そういった教師が持ちそうな棒が教室の前に立て掛けられているのを見たことがあるが、実際に生徒が叩かれているのを見たことはなかった。他の学校でもそうだった。自分たちのような外部の人間が訪問しているときには遠慮が働いたのかもしれないし、そもそもそれほど頻繁に行われているものではないのかもしれない。

 

自分としては、教師としての経験の未熟さからもっと感情的にバンバン叩きまくっているのかと想像していたのだが、どちらかというと抑制的な印象を受けた。ただし所長さんによると「けっこう頻繁にパシパシ叩いているわよ」ということだった。