3/6 ●インドで牛の屠殺を見に行く

朝、4時半に目が覚めてシャワーを浴びた。5時に部屋を飛び出す。廊下にブランケットを敷いて寝ていたスタッフを起こす羽目に。昨日行ったニューマーケットの中の牛肉売り場が気になっていた。市場だから朝に入荷があるはずだ。どんなトラックでどんな状態の肉が運び込まれるのだろう。市場の前ではすでに鶏を乗せたトラックが何台も停まっており、そこで鶏を直接仕入れた男たちが自転車に何十羽も縛りつけて朝の街へ消えていく。

市場の中は迷路のようになっており、牛肉売り場を探している間に魚を扱っている売り場に迷い込んでしまった。日本のように細かい魚はほとんどない。小さくても50cm以上、大きいものでは全長1m以上あるような大きな淡水魚だ。「ひょっとしてガンガーで獲れたの?」と聞くと別の川だそうだ。ガンガーも川の汚染が問題になっているが、他の川でも状況は決していいとは言えないだろう。インドで魚を食べるのも問題多いな、と深海魚のように少し頭のところが変形した魚を見ていると余計にそう思う。エイのような平べったい魚もいる。

大きな魚を解体している人がいるのでしばらく、解体ショーを眺める。こんなに朝早くから魚売り場にいる観光客は自分しかいないが、築地の魚市場にいる外国人観光客もこんな気持ちなのかな、と思いながら牛肉の売り場を探すことにした。

やっと牛肉売り場を探し当てたが、品物は入荷したあとで、みな下ごしらえに忙しい。その中の一角で、地面に座り込んで牛の頭を割っている人たちがいた。斧や鉈のようなもので顔の部分を何度も何度も叩いて解体し、まだ残っている細かなやわらかい肉を骨から引きはがしている。それはそれで叩いて、魚のすり身のように柔らかくするらしい。頭蓋骨から脳味噌を取り出して青いポリバケツに入れていく。時折それを買いに来る人がいて、プラスチックの袋を広げると、ポリバケツから脳味噌を一つ取り出して袋に入れてやっている。ガツッ、ガツッ、ガツッ、ガツッ、と鉈を振り下ろす非情な音がそこらじゅうに響き渡る中、すぐそばには1匹のねこが何も知らない様子でやわらかい身を丸めて朝寝を決め込んでいた。

ひとしきり眺めて、なおも牛肉市場をウロウロしていると、市場の一角で従業員にあれこれと指示していたご老人が近づいてきた。「ここは牛肉もマトンも野菜もなんでもある。みんなハラルフードだ。」とここでは珍しく英語で説明してくれた。牛肉も神が許した食物なので堂々と自分は扱っているということなのだろう。「そうなのですか」と少し大層に驚いて見せた。

それにしても、この牛肉はどこから来ているのだろうか。この先が知りたい。諦めきれずウロウロした揚句、先ほどのご老人のところへ行き、英語で尋ねてみた。ムスリムのトーピーという白い帽子をかぶったそのご老人は、すんなり教えてくれた。ひょっとしたらコルカタ市外から来てるかもしれない、という予想も裏切り、意外にも市内で屠殺され、解体されて運ばれてくるという。「何という地名のところですか?」と尋ねると震える手で地名、ご丁寧にもバスNo.まで英語で紙に書いてくれた。タクシーで行っても40Rs-程度だという。紙を受け取ってお礼を言うと市場を出た。

こんなにトントン拍子で事が進むなんてラッキーだ。こんなにツイてるときはすぐ行動するに限る。肉を出荷したばかりだから、今は仕事が終わってやれやれ、というタイミングだろう。屠殺の現場を見なくても場所を確認するだけでいい。途中で腕時計をしている人に時間を聞いたらまだ朝6時半だ。タクシー何台かを当たって、場所を知っているという人がいたので早速乗りこんだ。

そこは、屠殺を生業とする人たちが集まって暮らしている広大なコロニーのようになっていた。牛のほかに豚、ヤギ、鶏などを扱う人々が、それぞれのエリアごとに分かれて暮らしているらしい。中ほどになぜか「China Town」と表記された標識を見かけたが、華僑らしき顔立ちの人は一度も見なかった。タクシーを降りて20mほど歩くと、州政府が建てたらしい大きなゲートとともに、奥に屠殺の施設が見えた。ここは牛や水牛専用の施設だ。すぐに周りのインド人に話しかけられる。今は出荷が終わって休憩中だ、と言われる。奥の屠殺が行われるであろう施設で男たちが裸になって水浴びをしている。次は午後1時から作業が始まるらしい。肉を直接買い付けに来たと思われているようで、「何十kg欲しいんだ?」と聞かれる。あまり期待を持たせるようなことはしないでおこう。と言って「ただ見るだけだ」と素直に言っても却って反感を買いそうで難しい。取り合えずお礼を言い、また昼に来る旨を伝えて、一旦帰ることにする。場所が分かったので次は迷わずに来れるだろう。

帰りのタクシーを探しながら、ぶらぶらと歩いていると、豚の屠殺場を見つけた。牛のものに比べると建物自体小さいが州政府によって建てられたとゲートに記されている。建物の外から中を覗くと、ここも出荷が大方終わりかけていて、内臓などを抜き取られたものの豚の姿を残した1頭が天井から吊り下げられた天秤に乗せられている。するとそこにいた数人に見とがめられ、何を見てるんだ、見るな、出て行けと強い調子で言われ、仕方なく出ていくことに。

表では、洗面器のような容器に、豚の内臓部分などが入れられて売られている。豚肉の塊をドンと置いて切り売りしている人もいる。確かに豚を扱う人々というのは、インドでは微妙な立場だろう。彼らは昔から食物として豚を育て、食べていた。それを屠殺し、加工し、売って現金に換えたり、というのは後世になって派生した生業なのだろう。ムスリムにはもちろん蔑まれ、ヒンドゥー教徒にも恐らく蔑まれているはずだ。豚は多くの場合、生ゴミなどが集積している場所でごみを漁っている。豚を飼っている人も恐らくそういったごみを扱うような立場だったり、村や町中でもそういった場所での居住を強いられるような立場の人、、、つまり不可触民のような人が多いと思われるからだ。これまで豚が飼われている場所を何度か見たことがあるが、そういったスラム然とした場所ばかりだった。恐らく自分たちの仕事については、とても複雑な心情があるに違いない。

コルカタ市内の豚肉ショップ
コルカタ市内の豚肉ショップ

タクシーを拾って一度宿に帰り、遅い朝食をとってから昼過ぎに再度屠殺場へ向かう。現場についたら12:58、時間ぴったりだ。ゲートをくぐって中に入った。後から牛、水牛などが次々と飼い主に追い立てられてゲートから入ってくる。屠殺のための施設は長さ50m、幅15mほどの大きなものが3棟。奥 の1棟と真ん中の1棟の間はちょっとした広場のようになっている。ゲートに最も近い1棟はまだ新しく、しかもほとんど使用していないようだ。奥の施設へと追 い立てられる牛や水牛を隅の方に立って眺める。そのうち刃渡り50cmはありそうな山刀のようなものを持った恰幅のいい男が現れる。緊張感。居場所のない感覚。建物の陰、隅の方に隠れるようにして立つ。ポケットの中にカメラを忍ばせてきたが、この時点で撮るのを諦めた。やがて牛の後について自分も奥の施設へ、とぼとぼと歩いていった。

屠殺のための施設は、ちょうどホールのように周囲に太い柱が立ち並び、その間から牛が入れるようになっている。施設の長辺に沿って床に幅30cmほどの溝が2本切ってある。溝はわずかに傾斜がついているらしく、一方から水を流せば自然と他方へ流れるようになっているらしい。最初の牛が中に入り前足2本を縄で縛られる。後ろ足の 1本にも縄をくくりつけて1人が引っ張っておきながら、もう一人が牛を押すと簡単に倒れて横になる。そして後ろ足2本と前足を縛り、動けなくする。山刀を持った男が牛に近づき、喉に刃をあてる。すうっ  と音もなく刃を引くと血がどばっと一気に飛び出す。そこらじゅうに一瞬広がるが、大きな体躯からすると びっくりするほど血の量が少ない。喉を半分ほどの深さで切られた牛の首は不自然な角度で外側に曲がっている。牛の目は空を捉えたままだ。暴れる様子もなく、数分して血の出が収まるころには牛の目から光が消えていた。

牛の解体には、数人の男が手分けしてかかる。誰が何をするか役割が決まっているらしい。まず1人の男が四肢の第一関節をそれぞれ切り落とす。要領があるら しく、小さなナイフで関節の周りを切ってクイッとこねれば簡単に外れる。続いて腹を裂き、そこから皮を剥いでいく。小さなナイフをすっと入れていくだけで皮がその下の白く薄い肉から面白いようにきれいにはがれていく。尻尾の根元は丸く切って残し、腹から背中までの1枚ものの皮が見事に牛の体から剥がされた。靴とか 工芸品に使われるのだろうか。別の男が内臓を取り出している。小さな部位を取り出しては、施設の周囲に立つ柱の下にそっと置きに来る。ちゃんと他と区別できるように分けて置いている。驚いたのは胃と呼ぶにはあまりにも巨大な薄皮に包まれたものが腹から取り出された時だ。白い薄皮の外からでもうっすらと中が 見える。牛が生前に食べたであろう藁の繊維が残っている。牛糞として体外に出される少し前の段階に見えた。これだけで30kgぐらいありそうだ。牛はこんなものを常にお腹に抱えて歩いているらしい。

男たちはルンギー(腰巻)に刃研ぎ用の棒を刺していて、作業の合間ごとに頻繁にそれを取り出しては、手に持ったナイフをシャカシャカと音を立てて研いでいる。

お腹のものをある程度出して首を飛ばすと、いよいよ牛の体を吊るし上げる。施設の中には鉄骨が組み上げられている。その鉄骨に沿って丸太が組み上げられて いて、上方に床と水平に張り渡した丸太から、長さ1mくらいの頑丈な棒が何本も縄で水平に吊り下げられている。縄を調整してその水平棒を下げ、その両端に牛の後ろ足を縛り付ける。数人がかりで掛け声とともに縄をひっぱって水平棒を上げ、牛の体を吊るし上げるのだ。牛の体が「開き」みたいになって天井からぶ ら下がっている。ただし尻尾はまだついたままだ。別の男が斧のようなものを、牛の尾てい骨と、人間でいえば胸骨に当たる部分に何度も振り下ろして叩き割 る。そして縦に真っ二つに割っておいてから、モモや背中の部位を切り分けていく。あばらの部分も骨が付いたまま切り分けられる。この段階ではかなり大ざっ ぱな切り分け方をしていた。

自分はと言えば、施設の外から太い柱にもたれかかるようにして中で行われる作業を眺めていた。とても緊張していた。外国人だから目立つのはやむを得ないが、それでもなるべく目立たないように、ウロウロと動き回らないようにしていた。うかつにカメラなど取り出さなくてよかった。少なくともこの一部始終にカメラを向ける勇気も覚悟も、初めから自分にはなかった。むしろ今となってはなぜカメラなど持ってきたのだろう、と不思議にさえ思った。

天井付近には何十羽もの鴉が留っていて下を見降ろしている。人が作業している間は降りてこないが、時折我慢できなくなったのか、取り分けた内臓などをつつきに降りてきて追い払われている。

大半は男たちが作業している。トーピーという帽子をかぶったいかにもアラブ風の顔立ちの男もいれば、ドラヴィダ系のような、あるいは山の民と言えばいいのか、アーリアの特徴が全く混じっていない古い形質を残した顔立ちの男もいる。彼らこそ、昔からその生活スタイルゆえにアーリア人に蔑まれてきた人々なのだろう。

 

みんな世間話をしながら和気あいあいと仕事している。少ないながら女も働いていて、細い腸のようなものを拾って中に詰まったものを指でぎゅっと絞り出して皮だけを手に持った缶の中に入れている。日曜日なので小学生くらいの少年も手伝っていた。最初に切り落とした牛の足を両腕いっぱいに抱えて運んでいる。

次から次に牛や水牛が中に入って来て屠殺が始まる。気が付くと広場を挟んだ向こう側の施設でも何十頭かの屠殺が始まっていた。100人以上の人間が動き 回っている。山刀で最初に刃を入れるもの、皮を剥ぐもの、解体に従事するもの、水道から水を出して、ひたすら血を溝に流すもの、腸に詰まった排泄物を出し て水で洗っているもの、解体された部位をひたすら広場に運び出すもの。

施設の外では牛や水牛が順番を待つかのように柱に結えられた縄につながれている。中で行われていることを理解しているのか、落ち着きなく動き回るもの、むずかって中に入りたがらないものも結構見かけた。ざっと見た感じでは今日1日で処理される牛・水牛の数は100頭を優に超えるように思われた。しかし200頭には至らないのではないかと思われた。鴉が広場に集まって何だか分からない「おこぼれ」をしきりにつついている。肉を積むための小さなトラックや リヤカーのようなものも広場に集められていた。

時計を見たら14:18、まだ1時間20分しかたっていなかった。しかしもう何時間もそこに立っていたような気がした。もう十分だ、帰ろう。夕方5時ごろには全て終わると聞いていたが、とてもその時間までこの場にいる気にはなれなかった。疲れ切っていた。

タクシーで宿に帰り、1時間半ほど寝た。夕方に起きてネットカフェに行き、時間を潰した。

夜になって例のニューマーケット横の牛肉を出す食堂に向かった。インドでの食事は気が進まないことの方が多いが、今日は殊更だった。ご飯を半分ほどにしてもらって、鍋の中身を確認しながら、脳味噌っぽいものは避けて、ちゃんと肉らしきものが入っているものを3種類くらいオーダーする。他の客よりは多めにオーダーしたつもりだったが、これでたった53Rs。牛肉は意外と安いらしい。

牛肉を食べて宿に帰る時、喉の奥から湧き上がる生臭さとともに、何だか自分がちょっと悪いことをして帰るような後味の悪さが残った。