●教育の普及とは


いくつかの調査によると、インドの小学校の就学率は9割を超えているという。ユネスコは3年前の報告の中ですでに91%に達しており、2015年には97%に達するだろうと予測している。一方インドの大手NGOは昨年出した報告書で6-14歳の子供の学校への登録率は96.5%に達していると伝えている。100人対象年齢の子供がいると、何らかの事情で学校に就学していない子供は3人か4人に過ぎないというレベルにまで来ているという。素直に受け止めれば、それは素晴らしいことに違いない。

しかしインドでいくつか学校を実際に訪問して気になったのは、登録されている児童数と実際に学校に来ている児童の数にかなり差があると言うことだった。全校児童は約300人と教えてもらったのに、数えてみたら230人ほどしかいなかったり、ひどい学校は180人と言いながら、3,4回訪ねたものの、いつも30~40人ほどしかいなかった。また、クシナガラでインドマイトリの会の方が年賀状の返事を渡すために何度も学校訪問しても、該当する児童が休み続けていることもあった。たまたまその日休んでいるだけだったり、または他の学校に転校して元気に通学しているのならまだ良いのだが、長い間欠席して登録だけの幽霊児童のようになっているとしたら、公表されている就学率、または登録率の裏に落とし穴があるのかもしれない。

日本人が持つ、就学率の向上、通学の安定、教育の普及のイメージとインドの現状とでは少しギャップがあるように思う。そもそも、子どもたちは一定の年齢に達すると、自動的に近くの小学校から入学ガイダンスがやってくるのだろうか。一部地域では公立学校の教師が新年度に際して村々を回って対象年齢の児童に入学を呼び掛けていると聞いたことがあるが、私立学校のように親が入学申請しない限り放ったらかしで入学時期を逃してしまうような状況がもしあるとすれば、それは義務教育という意味合いからして、どうだろう?

また、農村では農繁期や地域の重要な催し事の際に子どもたちが学校を休むのは、現状では致し方ない部分もあるのかもしれない。しかし補習のような体制が整わないまま、散発的な通学状況であるにも関わらず、学校への在籍登録だけで初等教育が普及していると判断するのは早計ではないだろうか。日本でも学校やクラスによって授業の質に多少の差はあるだろうが、総じて均一で一定の授業が全国どこでも受けられるのに対して、インドでは一体どの程度のバラツキがあるのかはっきりしない。先のNGOの調査報告書では、クラス2の教科書を読みこなせるクラス5の児童はわずか53.4%に過ぎず、簡単な割り算ができるクラス5の児童は35.9%しかいないと指摘している。お勉強の内容にまで踏み込むのは気が引けるが、最低限この程度は、という目安を設けることも教育の普及度合いを測る上で大切かもしれない。

それでは、インドの教育制度からこぼれ落ちている子供はどこにどのくらいいるのだろう。国勢調査などを見ると、インドの人口増加率は鈍化しつつあるものの、6~14歳の子供は約2億人程度いる。そのうち就学していない子供が各調査通りの3%としても600万人程度と推計できる。

インド旅行中に特に調べ回ったわけではないが、都市のスラム周辺で遊びまわり、道行く大人にまとわりついてお金をねだり、近くで土木工事に従事する母親のそばで遊んでいた子どもたちは、いかにも学校とは無縁だった。ウッタラカンドの山沿いの町でも、集落から少し離れたところでポツンとテントを張って生活している家族を見かけたことがある。鍛冶屋のような仕事をしていて1人娘らしい10歳くらいの女の子はいつも飼っている犬と遊んでいるだけだった。山沿いの道路補修に従事している労働者だちも、作業現場とともにテントで移動生活をしているようだった。

インドはジャーティーというコミュニティがひしめき、せめぎあう社会だ。コミュニティの内側では互いに助けあい、宗教儀礼を共有するが、コミュニティとコミュニティの間には一定の緊張関係がある。周囲のコミュニティとの緊張、軋轢の中で、偏見や抑圧の対象となりやすい下層のコミュニティは、教育を含めた公共サービスから取り残されがちになる。最近では大きなスラムのそばにも学校ができて、スラムの子供も学校に通うのだという。しかしそれは裏を返せば、周囲の他の学校ではスラムの子供を受け入れてもらえないという事情も往々にしてあるだろう。それでも学校を設けてもらい、そこに通えるスラムの子供たちはまだ恵まれている。公教育の制度からこぼれ落ちた小さなコミュニティ、家族、子供たちは、教育を受けることの意味を知らないまま、学校に通うことのない生活スタイルを次世代に受け継がせていく。子どもに教育を施すかどうかは親がかつて子供時代に教育を受けたかどうかということと密接な関係があるということが調査で明らかになっているからだ。しかもそういう教育難民たちは広いインドの地に散らばっていて、忘れ去られたり、把握されにくくなっている。

インドのような複雑な社会背景を持つ国で、公教育の制度を整備したくらいで就学率が9割まで上昇したのならそれは素晴らしいと思う。そして就学していない児童の数が減少するにつれて、今後は行政による大きな施策ではそういった児童たちを徐々にすくいきれなくなってくるのではないだろうか。先に示したような統計上の就学児童数から就学していない児童の数を割り出していくような方法ではなく、地域のソーシャルワーカーや狭いエリアを活動範囲としているNGOのような存在が、就学していない児童を探して町や村を歩きまわり、実数を積み上げていくような方法と、そういった子どもたちに個別に対応していくようなアプローチが今後は必要になってくると思う。学校ができて教師が揃っても、その学校に通えない子供たちがいる。貧困のせいで働かないといけなかったり、共働きの両親に代わって幼い妹や弟の面倒をみないといけなかったり、欠席が増えた結果、もはや授業についていけなくなったり、周囲の他の上位カーストからのいじめに遭って学校に行けないなど、事情はきっと多岐にわたるに違いない。狭義の教育支援という枠にとらわれず、さまざまな社会経済的な問題に取り組む柔軟なスタンスと、小回りを利かせてそれぞれの地域、家族、児童の抱える問題や事情に密着した活動の中で就学していない児童の解消を目指すような方法が必要になってくるのではないだろうか。