2012/2/22 ●裸のマハラジャ


昨日夜、地図を見ながら考えた結果、ここから鉄道で移動することにした。バスだと遠回りのルートになる。それはそれでいいのだが、そろそろ日程のことも気になり始めていた。少し急いだ方がいいかもしれないと。何より鉄道はバスよりもスピードが速い。昨日の長いバス旅に少しうんざりしたのもあった。今回の旅で鉄道を利用するのは初めてだ。朝から駅に行き、時刻表を調べると12時半に出る急行がある。インド人に横入りされながらも予約カウンターで尋ねてみると、この駅からは今日の予約は取れないという。仕方ないので2等(Generarl Seat)の切符だけ購入した。

駅からホテルに戻る途中、自転車屋があった。このKesingaという小さな町は意外にも新品の自転車を売る店が多く目についた。実はインドで新品の自転車というのはいくらくらいするのか、他の町で時々自転車屋を探すことがあったのだが、なかなか見つけられなかったのだ。この町でも自転車に乗っている女子学生をよく見かけた。このオディーシャ州では、地方の州立学校のクラスⅩに進学した女の子を中心に、通学用の自転車の購入代金として1人2600Rsを補助している。だから女の子の自転車通学の姿が目立つのだ。

ちょうど女子学生くらいがよく乗っている大きさの自転車があったので、値段を聞いてみると2700Rsだという。コルカタのBig Bazaalというショッピングモールで同じような自転車についていた値段は5000Rs前後だった。それに比べるとずいぶん安いな、という印象だった。もう少し大きめの大人が乗るようなものでも3000Rsだという。そして大学生くらいの男の子に人気のサイクリング車のようなハンドルが湾曲したタイプは4000Rsということだった。

Kesingaの自転車屋
Kesingaの自転車屋

ホテルのそばに踏切があり、ちょうど貨物車が通るようで踏切が下がり始めた。インドの踏切の多くは手動だ。そばに踏切係が常駐する小屋があり、列車接近の連絡を受けると外に出てきてハンドルを回して踏切のバーを降ろしていく。そのタイミングが少し早いこともあって列車が来るまでしばらく間があるのだが、徒歩のインド人たちはお構いなしに踏切のバーをくぐって渡っている。バーの高さが少し高めなので自転車やオートバイに乗っている人たちも、列車がまだ接近しないのを見計らってバーをくぐって踏切内に侵入し、向こう側でまたバーをくぐって出ていく。列車の通過を待っているのは車だけだ。自分はそれを眺めながら苦笑した。

ちょうどこの日の朝、昨日Jeiporeのバススタンドで買った新聞を見ていたら、こうやって線路に侵入して列車にはねられ、命を落とすインド人は年間15,000人に上るという記事が掲載されていたからだ。ただしそのうち6000人はムンバイ郊外に集中しているとも書かれていた。都市郊外では線路のすぐ際に居住している人も多く、彼らにとっては線路も身近な生活圏に含まれている。小さな子供が用を足してたら電車が通過してはねとばされた、なんてこともあるに違いない。それにしても1年の間に東日本大震災の犠牲者に匹敵する数の命が失われているのに、新聞の片隅に小さく扱われているだけだった。インドではなんて命が小さく軽いんだろう、と呆れたのだ。

Kesingaから次の目的地、Raipurまではわずか3時間半の鉄道旅だった。昔インドを旅した時にもこの辺りには来なかったはずだ。当時はもちろんこのRaipurのある「チャッティースガル州」も存在していなかった。自分にとって初めての土地だ。

チャッティースガル州は2000年にマディヤ・プラデーシュ州から独立して、経済的には豊かになったと言われている。しかし州としての各社会指標はインドの中でも決して良いとは言えなかった。貧困の問題も大きい。しかしRaipurは大きな都市だった。駅も立派で、ホームは埃っぽいながらも掃除が行き届いていてごみも落ちていない。据え付けられているいくつかのごみ箱がなんだか誇らしげに見えた。駅を出て振り返って駅舎を見ると、インドらしからぬ近代的な屋根が特徴的だった。はっきり言ってこんなに大きな都市はKolkata以来だ。街は豊かに見えた。そして豊かな街には農村で喰えなくなったものたちが日雇い労働者として、ホームレスとして、又は物乞いとして流入し、街の繁栄ぶりに影を落としているかのように見えた。帰る家もない彼らは、それが当然とばかりに路上の脇で煮炊きをし、雑魚寝していた。

掃き掃除の行き届いたRipur駅のホーム
掃き掃除の行き届いたRipur駅のホーム
Raipur駅前の風景
Raipur駅前の風景

駅前のホテルに今夜の宿を決めて外に出ると、駅前にスイーツカフェがあり、いろんなパンを売る店が並んでいた。この街はパンがおいしいようだ。鶏肉を炒めてマサラで味付けしたのを露店で食べた。久々の鶏肉だ。さとうきびジュースを続けて4杯くらい飲んだ。目移りするほどいろんな食べ物が売られているのを眺めて歩く。

左足の膝から下のない乞食の男がいた。片足だけではバランスが悪くて立ち上がることもできないのだろう。車やバイク、オートリクシャが入り乱れて走る駅前の道のわきに座り込み、転がったり腕だけで身体を持ち上げて、どうにかその辺を動き回っていた。裸に褌一丁のその男は手に棒を持ち、大声でわめきながら、こんな身の上の自分を無視するとは何事か!とまるで通行人を叱りつけるように喜捨を求めている。たまたま彼のそばで通行人に金をせびっていた幼い少女と弟らしき男の子の物乞いには「俺の商売の邪魔をするな」と言わんばかりに手に持った棒を振り回して何やら怒鳴りつけている。交通整理にあたっていた警官も手を焼いているようだった。

そのうち通りかかったサイクルリクシャをつかまえて、男は客用の椅子に乗せてもらう。今日のお勤めを終え、どこか寝床へご帰還なのだ。ついでに近くの煙草やパーンを売っている露店でリクシャを停めさせ、リクシャワーラーに指示してタバコやパーンなどを買わせている。リクシャワーラーも言われるがままに何か買ってやっては、椅子にふんぞり返っている褌男に手渡している。火の着いたビディーを高く咥えながら、褌男は座ったまま足を高く挙げて広げ、褌の中に手を突っ込んで、ちょうど金玉の裏から5Rs札を取り出して、リクシャワーラーに手渡す。立つこともまともに歩くこともできない男にとって、手にした喜捨を力ずくで奪われないためには、そこしかないという隠し場所なのだろう。それを見ていた周りのインド人たちも思わず噴き出していた。

普段、人から蔑まれている鬱憤を晴らすかのように、ここぞとばかりにサイクルリクシャの後ろで横柄に振舞っている。どうだ、俺さまはちゃんと金を払ってリクシャに乗ってやっているんだぞ、と言わんばかりのその姿は、褌一丁のマハラジャだった。興味深く思い、もっと追いかけたかったのだが、マハラジャを乗せたサイクルリクシャはその後、人ごみと夜の闇の中に消えて行ってしまった。